極東4th
「………!」

 早紀は、両手で自分の唇を覆っていた。

 そうでないと、そこから魂が飛び出してしまいそうだったからだ。

 おかあ、さん。

 病院の窓ごしに見た彼女は、伊瀬の大きな身体に抱かれていると、なおさら小さく頼りなく見えた。

 しかし、門という障害物を越えれば、そこにあの母がいるのである。

 ああ!

 身体が、引きずられそうになる。

 愛という愛が溢れ出し、衝動的に母しか見えなくなる。

 この狂気的な感情は、一体なんなのか。

 近づいてはいけないと思うブレーキがあるにも関わらず、早紀は駆け出していた。

 真理が、そこに立っていることさえ、一瞬忘れた。

「おかあ…」

 手を伸ばす。

 門にしがみついて、大きな声で呼びかけて、自分を見て欲しかった。

 早紀です!

 私、早紀です!

 伸ばしかけた手は──届かなかった。

 おなかに回された真理の腕が、彼女の突進を途中で阻んでしまったからだ。

 その上、簡単に反転させられた。

 早紀に見えるのは、屋敷と入り口で遠巻きにみている使用人たちだけになる。

 あっ、あ!

 もがいて門の方を振り返ろうとするのに、真理の腕はがっちりと彼女を捕まえていて、びくともしない。

「離し…」

 お母さんが、お母さんがそこにいるのに!

「お引き取りいただこう」

 自分の身体のすぐ傍から放たれる、冷たい冷たい言葉。

 早紀の産毛を逆立てさせるほどの、物凄い冷気。

「悪い話では、ないと思ったのだが」

 ため息をつく伊瀬。

 その足音が、離れ始める。

 待って、待って!!!

 強くもがいて、必死に真理の腕から逃れる。

 ようやく呪縛から逃れ、門を振り返った時。

 もはや──そこには、誰もいなかった。

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