光の重なり ― 魅惑のパリで見つけたもの ―
それでも考え始めると、なぜかまた少し腹が立ってくる。

「早く駒を置いてください。まだ勝負中です」

「はいはい」

理久がようやく盤面へ意識を戻した。

美月も次の一手を考える。

「あの、今回は学会に行くんですよね?」

「そうだね」

「医局から出るのはエコノミー相当分のはずです。わざわざそこまで自腹を上乗せする意味が分かりません」

「快適に行きたいからだよ」

「エコノミーでもパリには着けます」

「パリは遠いよ。長時間フライトだし」

「知ってますよ。馬鹿にしないでください」

「馬鹿にしてないよ」

理久が笑う。

「良い仕事をするためにも、機内のストレスは少ない方がいいでしょ」

「少なくとも私は仕事じゃありません。ただの付き添いです」

「俺はそんなふうに思ってないけど」

「じゃあ、何なんですか?」

美月が言うと、理久は駒を持ったまま、ふと顔を上げた。

少し下から美月を見つめる。

その表情は、先ほどまでの楽しそうなものとは違っていた。


甘くて、綺麗で。

ずるいくらい、優しい。


「奥さんと行く、初めての海外旅行」

そして、にっこりと笑った。

美月は一瞬、言葉を失った。

胸が勝手に跳ねる。

そんなことを、どうしてこの男は何の恥ずかしげもなく言えるのだろう。

「なっ……なんてことを」

「何?」

「私は騙されませんからね!」

慌てて現実へ引き戻す。

「海外旅行じゃありません。学会帯同です。そこを甘い言葉にすり替えないでください」

理久は、美月の反応さえ楽しんでいるらしい。

美月はさらに駒を進めた。

「今回の学会って、日本からもたくさんの先生が参加されますよね?」

「そうだね」

「行き先も同じなら、同じ飛行機に乗る先生だっていらっしゃるかもしれません」

「いるかもね」

「その先生方が搭乗するときに、私たちだけファーストクラスに座ってるなんて、私は無理です」

「そう?」

「そうです」

「俺は今さら別に気にしないけど」

「私が気にします」

「教授はビジネスクラスだったけど」

「ファーストクラスではないですよね?」

「そうだね」

駒が次々と動いていく。

かなりハンデをもらったはずなのに、いつの間にか美月の駒もずいぶん減っていた。

それでもまだ優勢だ。


――いけるかもしれない。


そう思いながら、美月は次の手を考える。

「だいたい、りくってエコノミーなんて乗ったことないんじゃないですか?」

少しだけ意地悪を込めた。

かなり偏見なのは分かっている。

けれど理久は嫌な顔ひとつせず、むしろまた面白そうに笑った。

「ご期待に添えなくてごめんね、美月」

「何ですか、その言い方」

「友達との旅行は普通にエコノミーだったよ。家族旅行も、両親はビジネスだったけど、姉と俺はエコノミーだったし」

美月は思わず顔を上げた。

「……ご両親と別だったんですか?」

「うん。子どもにビジネスクラスは必要ないって考えだったから」

「……りくのご両親って、かなりしっかり教育されてたんですね」

その言葉に、理久は少しだけ目を細めた。

優しい眼差しだった。

再び盤面へ視線を戻す。

チェスの攻防は続いた。

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