ブルーヘヴンの彼方に
4. 君の涙
4. 君の涙
若葉ちゃんと付き合い始めてから、初めてのデートの日を迎えた。
付き合う前より緊張するのは、何故だろう。
「……これでいいかな」
鏡の前で、今日何度目かわからない服装チェック。
格好つけること自体が格好悪い――そう思っていたはずなのに、好きな人には少しくらい格好いいと思われたい。
恋をすると、こうなるものなのだろうか。
「いいんじゃない?」
「うわッ!」
鏡越しにエリサと目が合った。
「急に入って来るなよ!」
「ねえ、女に会うの?」
「いいから出てって」
「ちゃんとオシャレなパンツ穿いていきなよ。赤とか」
「余計なお世話だ」
何を期待しているんだ、こいつは。
「兄貴、緊張してチビるなよ」
「チビらない」
「漏らすなよ」
「同じ意味だから!」
相変わらず調子が狂う。
「その子、可愛い?」
「……可愛いよ」
「へぇ~」
エリサがにやりと笑った。
「兄貴、マジじゃん」
「うるさい」
これ以上付き合っていたら、何を聞き出されるかわからない。
「ほら、今日撮影あるんだろ?」
「あ。やば」
エリサが時計を見た。
「じゃ、行ってきまーす」
「はいはい」
嵐が去った。
「……やれやれ」
僕も急いで家を出た。
*
母から譲り受ける予定の淡いパステルグリーンの軽自動車を走らせる。
助手席には、まだ誰もいない。
「選曲は……これでいいか」
デートのBGM。
少し迷って、EDENの曲を入れた。
自分の曲を自分のデートで流すというのも妙な話だけれど――若葉ちゃんが知らなければ、それでいい。
それに。
彼女がどんな音楽を好きなのか、知るきっかけにもなる。
僕は恋愛初心者だ。
格好よくエスコートする自信なんてない。
でも。
知らないことなら、これから知っていけばいい。
その時間まで含めて、きっと恋愛なのだろう。
*
待ち合わせ場所の花見公園前。
前方から、若葉ちゃんが歩いてくる。
風に揺れるペパーミント色のシフォンワンピース。
(……可愛い)
思わず見惚れた。
「お待たせしました」
「全然。僕も今来たところ」
助手席のドアを開ける。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「狭い車でごめんね」
「いえ。可愛い車ですね」
「ああ、これ母さんのなんだ。買ったくせに『ニホンノ車コワイネ』って全然乗らなくなって。近々僕がもらう予定」
「お母さん、外国の方なんでしたっけ?」
「フランス人。日本に来てもう長いけど、今でも時々すごい日本語使うよ」
若葉ちゃんが笑った。
車を走らせる。
何を話そうか、あれこれ考えていたはずなのに。
実際に二人きりになると、不思議なくらい自然に会話が続いた。
その時。
「あ。この曲……」
「知ってる?」
「EDENですよね」
思わず横目で彼女を見る。
「私の友達が、ものすごく好きなんです」
「へえ」
「私は音楽に詳しくないんですけど……この人の声、すごく素敵だと思います」
「声?」
「はい。少しハスキーなのに透明感があって。それにものすごく高い声で、一瞬女性なのかなって思うくらい」
心臓が変な跳ね方をした。
「……そう?」
「友達は、そこが神秘的でいいって。正体不明なのも含めて、すごく憧れてるみたいです」
何だろう。
自分のことなのに、面と向かって褒められると妙に照れる。
「そう言ってもらえると……嬉しいな」
「え?」
「あ、いや」
危ない。
「その友達とは、よく遊ぶの?」
若葉ちゃんの表情が少し曇った。
「遊びたいんですけどね。今、入院してるんです」
「そうなんだ……」
「去年の十二月に持病が悪化して、救急搬送されて。そのままずっと」
「ごめん。不躾だったね」
「いえ。今は結構元気ですから」
そう言って笑ったものの、その笑顔には少し影があった。
「病気自体は重いんですけど……歌手を目指してるんです」
「歌手?」
「はい。高校には進学しないで、中学を卒業してからずっと音楽活動してて。ドーナツ屋でアルバイトしながら、楽器を買うお金とかライブの費用を貯めて」
「すごいね」
「私も少しだけ協力して、一緒に貯めてるんですけど。やっとこれからって時に倒れちゃって」
「……そっか」
僕は少し考えてから言った。
「叶うといいね。その子の夢」
「はい」
「きっと叶うよ」
何の根拠もない。
でも。
そうであってほしいと思った。
「今はEDENの歌詞公募に応募するって、張り切って作詞してます」
「本当に?」
「絶対選ばれるんだって、ものすごい勢いで」
思わず笑った。
「じゃあ、応援しないとな」
「はい」
「あ。それより――」
「何ですか?」
「若葉ちゃん、その子の夢のために一緒にお金貯めてるんだよね?」
「まあ……少しだけですけど」
「やっぱり、すごいよ」
「え?」
「人の夢を、自分のことみたいに応援できるって」
若葉ちゃんが照れたように視線を逸らす。
「ますます好きになっちゃうな」
「もう……やめてくださいって」
「やめない」
そんなやり取りをしているうちに、あっという間に一時間が経った。
*
今日は県外の植物園へ向かう予定だ。
途中で休憩を挟み、再び車に乗り込む。
「若葉ちゃん」
「はい」
「それ」
「え?」
「敬語」
「あ……」
「今日から禁止ね」
「ええっ」
「恋人なのに、いつまでも敬語だとちょっと寂しい」
若葉ちゃんが困ったように笑った。
「……じゃあ、頑張る」
「うん。それ」
「何?」
「今のいい」
「もう……」
こういう些細な変化が、どうしようもなく嬉しい。
僕は笑いながらエンジンをかけた。
「あと三十分くらい走ったら、お昼にしようか」
「うん」
少しずつ。
二人の距離が近づいていく。
それが、心地よかった。
*
若葉ちゃんと付き合い始めてから、初めてのデートの日を迎えた。
付き合う前より緊張するのは、何故だろう。
「……これでいいかな」
鏡の前で、今日何度目かわからない服装チェック。
格好つけること自体が格好悪い――そう思っていたはずなのに、好きな人には少しくらい格好いいと思われたい。
恋をすると、こうなるものなのだろうか。
「いいんじゃない?」
「うわッ!」
鏡越しにエリサと目が合った。
「急に入って来るなよ!」
「ねえ、女に会うの?」
「いいから出てって」
「ちゃんとオシャレなパンツ穿いていきなよ。赤とか」
「余計なお世話だ」
何を期待しているんだ、こいつは。
「兄貴、緊張してチビるなよ」
「チビらない」
「漏らすなよ」
「同じ意味だから!」
相変わらず調子が狂う。
「その子、可愛い?」
「……可愛いよ」
「へぇ~」
エリサがにやりと笑った。
「兄貴、マジじゃん」
「うるさい」
これ以上付き合っていたら、何を聞き出されるかわからない。
「ほら、今日撮影あるんだろ?」
「あ。やば」
エリサが時計を見た。
「じゃ、行ってきまーす」
「はいはい」
嵐が去った。
「……やれやれ」
僕も急いで家を出た。
*
母から譲り受ける予定の淡いパステルグリーンの軽自動車を走らせる。
助手席には、まだ誰もいない。
「選曲は……これでいいか」
デートのBGM。
少し迷って、EDENの曲を入れた。
自分の曲を自分のデートで流すというのも妙な話だけれど――若葉ちゃんが知らなければ、それでいい。
それに。
彼女がどんな音楽を好きなのか、知るきっかけにもなる。
僕は恋愛初心者だ。
格好よくエスコートする自信なんてない。
でも。
知らないことなら、これから知っていけばいい。
その時間まで含めて、きっと恋愛なのだろう。
*
待ち合わせ場所の花見公園前。
前方から、若葉ちゃんが歩いてくる。
風に揺れるペパーミント色のシフォンワンピース。
(……可愛い)
思わず見惚れた。
「お待たせしました」
「全然。僕も今来たところ」
助手席のドアを開ける。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「狭い車でごめんね」
「いえ。可愛い車ですね」
「ああ、これ母さんのなんだ。買ったくせに『ニホンノ車コワイネ』って全然乗らなくなって。近々僕がもらう予定」
「お母さん、外国の方なんでしたっけ?」
「フランス人。日本に来てもう長いけど、今でも時々すごい日本語使うよ」
若葉ちゃんが笑った。
車を走らせる。
何を話そうか、あれこれ考えていたはずなのに。
実際に二人きりになると、不思議なくらい自然に会話が続いた。
その時。
「あ。この曲……」
「知ってる?」
「EDENですよね」
思わず横目で彼女を見る。
「私の友達が、ものすごく好きなんです」
「へえ」
「私は音楽に詳しくないんですけど……この人の声、すごく素敵だと思います」
「声?」
「はい。少しハスキーなのに透明感があって。それにものすごく高い声で、一瞬女性なのかなって思うくらい」
心臓が変な跳ね方をした。
「……そう?」
「友達は、そこが神秘的でいいって。正体不明なのも含めて、すごく憧れてるみたいです」
何だろう。
自分のことなのに、面と向かって褒められると妙に照れる。
「そう言ってもらえると……嬉しいな」
「え?」
「あ、いや」
危ない。
「その友達とは、よく遊ぶの?」
若葉ちゃんの表情が少し曇った。
「遊びたいんですけどね。今、入院してるんです」
「そうなんだ……」
「去年の十二月に持病が悪化して、救急搬送されて。そのままずっと」
「ごめん。不躾だったね」
「いえ。今は結構元気ですから」
そう言って笑ったものの、その笑顔には少し影があった。
「病気自体は重いんですけど……歌手を目指してるんです」
「歌手?」
「はい。高校には進学しないで、中学を卒業してからずっと音楽活動してて。ドーナツ屋でアルバイトしながら、楽器を買うお金とかライブの費用を貯めて」
「すごいね」
「私も少しだけ協力して、一緒に貯めてるんですけど。やっとこれからって時に倒れちゃって」
「……そっか」
僕は少し考えてから言った。
「叶うといいね。その子の夢」
「はい」
「きっと叶うよ」
何の根拠もない。
でも。
そうであってほしいと思った。
「今はEDENの歌詞公募に応募するって、張り切って作詞してます」
「本当に?」
「絶対選ばれるんだって、ものすごい勢いで」
思わず笑った。
「じゃあ、応援しないとな」
「はい」
「あ。それより――」
「何ですか?」
「若葉ちゃん、その子の夢のために一緒にお金貯めてるんだよね?」
「まあ……少しだけですけど」
「やっぱり、すごいよ」
「え?」
「人の夢を、自分のことみたいに応援できるって」
若葉ちゃんが照れたように視線を逸らす。
「ますます好きになっちゃうな」
「もう……やめてくださいって」
「やめない」
そんなやり取りをしているうちに、あっという間に一時間が経った。
*
今日は県外の植物園へ向かう予定だ。
途中で休憩を挟み、再び車に乗り込む。
「若葉ちゃん」
「はい」
「それ」
「え?」
「敬語」
「あ……」
「今日から禁止ね」
「ええっ」
「恋人なのに、いつまでも敬語だとちょっと寂しい」
若葉ちゃんが困ったように笑った。
「……じゃあ、頑張る」
「うん。それ」
「何?」
「今のいい」
「もう……」
こういう些細な変化が、どうしようもなく嬉しい。
僕は笑いながらエンジンをかけた。
「あと三十分くらい走ったら、お昼にしようか」
「うん」
少しずつ。
二人の距離が近づいていく。
それが、心地よかった。
*