ブルーヘヴンの彼方に
「キャッ!!」
「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。ほら」
背中をそっと押して、室内へ促す。
「ちょっと、やめ――」
「あ、お疲れー」
「あ、キリト。遅くなってごめん」
ドアのすぐそばにいたのは、長い髪を後ろで束ねた少年――キリト。
「あ、エディさんのガールフレンドですか?」
相変わらず人懐っこい。
初対面だというのに、もう距離が近い。
「若葉ちゃん、紹介するね」
僕は彼女をさらに部屋の奥へ招き入れた。
「え? ここは……」
ここは、僕ら専用の秘密の音楽スタジオ。
この店の地下にこんな場所があるなんて、若葉ちゃんはもちろん、他の客は誰も知らない。
「初めまして。俺、深海キリトっていいます。あっちの赤髪で目つき悪い奴は、双子の弟のミナト。それで――」
「そのくらいにしておけ」
「あ、アサ兄」
「キリト、喋り過ぎだ」
一際背の高い、白銀色の髪をオールバックにした青年。
その手にはヴァイオリン。
「俺はガーディナー亞紗斗ステファンだ。アサトと呼んでくれればいい」
「こ、こんにちは。山口若葉、です」
次々に現れる人間に戸惑いながらも、若葉ちゃんは丁寧に頭を下げた。
「アサ君は現役の音大三回生なんだ」
「え、音大? すごい」
「ちなみに、キリトとミナトとは従兄弟同士」
「え、そうなの?」
まあ、家系図を書くと少々ややこしい。
「アサ君のお母さんと、キリトたちのお父さんが姉弟なんだ。それぞれ国際結婚してて、アサ君はアメリカ、キリトとミナトはロシアにルーツがある」
「へえ……」
「僕らは親同士の縁で知り合って、それ以来、家族ぐるみの付き合い。なかなか濃いメンツでしょ」
「う、うん」
国際色豊かに見えるけれど、ここにいるほぼ全員、日本生まれの日本育ちだ。
アサ君を除けば、もう一方の国の言葉はおろか、英語すら満足に話せない。
だからたまに「見かけ倒し」なんて言われたりもする。
ハーフだからって、外国語が話せるとは限らない。
見た目だけで勝手に期待されるのも、僕らにはありがちな悩みだ。
「ねえ、そこの女。あんた誰?」
しまった。
もう一人いた。
「……エリサ。いたなら挨拶しろよ」
エリサは僕を完全に無視し、そのまま若葉ちゃんの方へ向かった。
「こ、こんにちは」
「ねぇ、あんた。兄貴の女?」
「はい?」
唐突すぎる。
「へえ。もっと派手な女連れてくるかと思ったけど」
「キャッ!」
次の瞬間、エリサが若葉ちゃんの胸元を遠慮なく覗き込んだ。
「……でか。兄貴、素材はいい女捕まえたね」
「エリサ。今、彼女に何した?」
「挨拶」
「ウソつけ」
胸元を隠すように押さえている若葉ちゃんを見れば、一目瞭然だ。
「ごめん、若葉ちゃん。エリサは僕の妹で……ちょっと性格がひん曲がってて……」
「何さ。ウチ褒めてやってんだよ。ねぇ、若葉。兄貴ひどくない?」
「は、は?」
あまりの不躾さに、若葉ちゃんは完全に固まっている。
「無視していいよ」
ああ。
妹の非礼を、どう詫びればいいものか。
いつからこうなったのやら。
これでも昔は、寂しがり屋で泣き虫な、可愛い妹だった。
六歳の頃、両親が病弱な僕につきっきりになる寂しさから家を飛び出し、危うく事件に巻き込まれかけたことさえある。