きみが待つ空へ ~敏腕パイロットは命をかけて愛を守る~
俺は、トルコまでのフライトを終え、イスタンブールのホテルの部屋でくつろいでいた。
ふと、彼女のことを考える。
午後8時。イラードとの時差はほぼない。
今日の旅程を無事終えて、彼女もまた、ホテルでゆっくりしているのだろうか。
告白を保留にされたロンドンの夜を思い返す。
彼女が簡単に頷かなかったのは、それだけ俺との関係を真剣に考え、ずっと先の未来も見据えてくれているからではないか。
その思慮深さが好ましかった。
きっと彼女は、前向きの答えを出してくれる。
そう信じていた。
自然に口角を上げたとき。
テレビのワールドニュースの英語に、ハッと画面に顔を向ける。
アナウンサーの切迫した表情とイラード周辺の地図に目が離せない。
……なんだって?
イラルが、48時間の猶予の後にイラード領空を飛ぶ航空機を、すべて攻撃対象にする……だと?
美桜さん――美桜。
全身の血が一気に、地面に吸い込まれていくように引いていく。
イラードに残された日本人をどう出国させるのか。
民間航空機も攻撃対象になる状況で、東亜航空に何ができるのか。
グループの会長である父なら、詳しい情報を持っているかもしれない。
俺はスマホを手に取り、父に電話を掛けた。
「颯です。イラードの件、どうなっていますか」
繋がると、前置きもなく尋ねた。
『政府が日本から救援機を飛ばそうとしているが、簡単にいかない。たくさんの問題があって、どれもこの短時間では決められない』
「東亜としては?」
『協力できるものならしたいとは思う。しかし、安全が保証できない以上、救援機は飛ばせない。……ほかの航空会社も同じ結論だ』
「そんな……」
父の言うことは理解できた。
長距離を飛べる機材を確保し、乗員を揃える。
航路を検討し、飛行許可を取り付ける。
さらに、現地では、限られた時間内に人々を乗せ、攻撃の危険が高まる前に領空を抜けなければならない。
どれかひとつでもうまくいかなければ、乗員乗客の命が危ない。
このまま何もできずに、美桜たちがいる国の空が閉ざされるのを見ているしかないのか。
「父さん……俺が、行きます」
気付けば、口にしていた。
『……何を言っている』
「俺が、救援機の機長を務めます」
『認められない』
父の声に厳しさが増した。
「時間がありません。ここ、トルコから救援に向かうのがベストです」
俺はきっぱりと告げた。
電話の向こうで父が唸っている。
何としても、彼女を、そして現地に残された人たちを助けたい。
けれどそれだけではなかった。
俺には、東亜グループを継ぐ者として果たすべき責任と、パイロットとしての誇りがあった。
救助できる可能性があるのに、俺にはその技量があるのに、無理だと諦めていいのか。
「もし、飛ばせてくれるなら、俺はこのフライトを最後にします。あとは経営に専念します。……今、決めました」
『颯……』
父が俺の名前を呟いた。
ずっと、迷っていた。
いつまで操縦桿を握り続けるのか。
空が好きだった。
飛ぶことへの未練と、父の後を継がなければならない責任との間で揺れていた。
でも、今は、このフライトこそが俺の最後のフライトにふさわしいと思える。
これまで培ってきた技量と判断力、そのすべてを使って最善を尽くす。
――大切な人のために。
『わかった。ただし、条件がある』
沈黙していた父が、口を開いた。
『……必ず、戻れ』
俺は唇を引き結び、こみ上げるものを押しとどめた。
『お前はイスタンブール空港で待機しろ。最大限、安全な航路を検討する。必要な手配は、私が責任をもって進めよう』
父の言葉に、ようやく息をついた。
「ありがとう、父さん」