私は返さない  その記号を。
名の知られた画家ではないけれど、感情を揺さぶってくる作品ばかりが並んでいた。

時間も忘れて眺めていると、末永の形の良い唇が私の瞼に落とされた。不意打ちに飛び跳ねてしまった。

「そろそろ帰るか。描きたくなったんだろう?」

見透かされている。
じわじわと湧いてくる衝動を、早く形に落としてしまいたい。悔しいけれど、末永は私が描く絵の信者だった。
彼の家には入手経路も不明な、私が残してきたほぼ全ての作品が集められていた。

独占欲の塊だった。
あの家に閉じ込めてまで、満たされようとする。
私の絵は、もう誰にも届けることはできない。


*   *   *


「相変わらず、辛気臭い顔をした女だな。兄さんの趣味を疑うよ」

雑音が現れた。
嫌味を言うためだけに、末永の弟を名乗る男はやってくる。髪も瞳の色も末永よりも柔らかいけど、冷たい表情は酷似していた。

「あなた、暇なの?」

キャンバスに向かう集中力が途切れた。その原因に苛立ってしまう。
末永と違って、啓人(ひろと)の感情は見えやすい。ムッとした様子を隠しもせず、長々と嫌味を並べられる。
本当に面倒くさい。

「兄さんも何がいいんだか。こんなもの、パトロンになるほどの価値がないじゃないか」

床に散らばったラフ画を忌々しそうに見る。
踏み散らかさないのは、啓人の僅かな良心か、末永への配慮かは分からないけれど、どちらにしろ苛々する。

「屋敷の一室を与え、一生飼うつもりなのか?……ははっ、いい趣味だね。お前はいつ捨てられるか分からない恐怖を抱えて生きるだけなんだから」

「恐怖? 早く捨てて欲しいくらいだわ」

末永が私に禁じているのは外部の人間との接触。
それ以外なら、なんだって与えようとしてくる。

大学で勉強はしたとはいえ、天才たちの中では凡人でしかなかった私に、だ。
これが名だたる画家に向けられたものならまだ納得もいくというのに。啓人の反応も無理はない。

末永の態度は、まるで私に価値があるのだと言っているようだった。

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