深海のカフェ冬銀河〜破滅ではなくマスターに堕ちてゆく〜
ふたりの瞳が孤独を分かち合えた瞬間、マスターは、静かに頷くと私の頭を優しく撫でた。
「コーヒーもモンブランも、美味しかったです。でも、だからこそ、余計に寂しい」
私がその言葉を言い終える前に、マスターは、私を抱き寄せてくれた。
それは、儚い夢のようで、でも確かな温もりがあった。マスターの体温を感じられた。
「月原雪乃さん」
マスターが私の名前を囁いた。その低くて、心地よい、素敵な声で。
「どうして、私の名前を?」
「僕は、なんでも知っているんです」
本来なら不思議に思うはずなのに、不思議には思わなかった。マスターに私の名前を呼んでもらって嬉しかったのだ。
私は、帰るために、木製の扉を開ける。誰かに開けてもらうのではなく、自分の意思を示すために。
「あの、マスター、最後にお名前を聞かせてください」
「星野柊夜と申します」
『星野柊夜』、マスターの名前を胸の中で反芻した時、そのシャープで柔らかい唇が私の唇に重なった。
コーヒーのフレーバーがする大人のキス。
「んっ⋯」
その瞬間、マスターに委ねていた身体がふわっと浮くような感覚がして⋯。
「海で溺れるくらいなら、小説に溺れて。小説の中で、僕は雪乃を溺愛します」
そう言ったマスターの声が深海へと消えていった。
視界が、ゆっくりと反転して⋯。