深海のカフェ冬銀河〜破滅ではなくマスターに堕ちてゆく〜
サイフォンの下部に据えられたアルコールランプに青白い炎が灯る。
下のフラスコから、小さな気泡が、うたかたのシャボン玉のように幾つも浮かび上がっては消えて。浮かび上がっては消えて⋯。
沸き立ったお湯が、蒸気圧で上のロートへと静かに昇っていく。コーヒーの粉がふわりと褐色の雲のようになって、その表面を泡が覆った。マスターが、膨らむコーヒーの粉をヘラで攪拌する。
焙煎された深くて香ばしい湯気が、店内の空気中に溶け込んでゆく⋯。
今、漂っているコーヒーの香りは好き。現実世界のコーヒーは苦くて苦手なのに。
「サイフォンはね、コーヒー豆の味が豊かに膨らむんですよ。それは、とても素直にね」
マスターは懐中時計に目を落としながら、静かに微笑む。静かに時間が過ぎて。
アルコールランプの火が消された。
もう一度、マスターがヘラで撹拌する。
アルコールランプの火を消したことで、フラスコ内の気圧が下がり、ロートに留まっていた褐色が、フィルターで濾過されながら、フラスコへと引き込まれるように落ちて。私がこの世界に堕ちてしまったみたいに。
褐色の宝石のように、無垢で澄み切ったコーヒーになっていく。
まるで魔法だ。
最後の一滴が落ちると、ロートの底には、美しいコーヒーの粉の山が残されていた。
何故だろう。そのコーヒーの粉の山が、人生の山のように私の目に映った。サイフォン式のコーヒーそのものが人間の一生のように儚く、だけど、感慨深く思えた。