いつか終わってしまう初恋に、わたしはあなたを巻き込んだ
 食堂に行くと、足音に気づいたように白髪の女性が顔を上げた。食事の時間は終わっているのだろう。人気がないことに安心して、わたしはフードを下ろした。

「話は伺っておりますよ。さあ、こちらに」

 まるで見えているかのように確かな足取りで、女将は歩いていく。奥の一角に衝立がある。その向こうに風呂桶が置かれていた。

「今湯を持ってきますからね。少しお待ちを」

 女将は厨房から何度か湯を汲んできたかと思うと、手を差し入れて温度を確かめた。うんうんと頷いたら、わたしを振り返る。

「もしよろしければ、お手を見せていただいても」
「はい」

 何をされるのかと思ったが、わたしは恐る恐る女将の前に手を広げた。

「なるほど。これはこれは」

 皺の寄った手が、そっとわたしの手を撫でていく。たったそれだけのことで、一体わたしの何が分かるというのだろう。

「お兄さんが過保護になるのも当然でしょう。さぞ、お顔立ちも美しいのでしょうね」

 濁ったようなその目に、この姿を捉えられた気がした。

「ああ、いや、そんな」
「きちんと見張っておきますからね。安心してお入りください」

「あの、お金は」

 湯を借りるのにいくらするのだろう。世間知らずのわたしは相場も分からない。

「先にお兄さんに頂いておりますよ」

 にこりと微笑んだ女将は衝立の外、戸口の方に消えていって、わたしは一人残された。

 せっかく用意してもらった湯が冷めてしまう。わたしは一つため息をついて、朝ラウルが結ってくれた髪を解いた。続いて、着ていた服を全て脱ぐ。

 狭い風呂桶とはいえ、身を沈めればほっとする。足先からじわじわと温まってきて、体がどれだけ強張っていたのかと実感する。少しだけ、王宮のバスタブを思い出した。

 髪を浸せば、ぴちょんと水音がする。上がる湯気とともに天井を見上げる。ラウルはちゃんと、手当てをしただろうか。

 大国からの婚約を破棄され、後ろ盾を失ったわたしに、もう王宮での居場所はなかった。
 いつ死んだって問題ない。

 乳母だけが、わたしを不憫に思いなんとかして逃がそうとしてくれた。その時に選ばれてしまったのが、彼だった。

『姫様がお一人で逃げる? 女の身でそんなことできるわけがないじゃないですか。どうやってご自身をお守りするおつもりで』

 真顔で彼にそう言われてしまえば、もう何も言い返せなかった。

 時々、考える。両手で掬い上げた湯の中に、自分の顔が映る。

 わたしが、男に生まれていたら。母様が死ななかったら。

 そうすれば、わたしはあのまま王宮にいられただろうか。仮にこうなったあとでも、一人でも逃げおおせることができただろうか。

 どんなに考えても、詮無きことだとは分かっているけれど。

 次に、もしラウルがいなかったらと考える。

 彼がいなかったらわたしは今ここにいないだろう。
 多分、もう三回は死んでいる。その度にラウルはわたしを守ってくれた。

 水面が揺らめいて、金髪の女の顔が歪む。なんて顔だ。それを打ち消すように、わたしはばしゃりと顔に湯をかけた。

 あの女将の目が見えないことに心の底から感謝した。こんな情けない顔を、彼女には見せずに済んだのだから。
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