世界で一番切ない恋

ーー流星の落ちる場所ーー


「……あ、わりぃ。なんでもない。ちょっと喉に何かつまっただけ」
星野くんはすぐにいつもの意地悪そうな笑顔を作って、自分の首の後ろをガシガシと掻いた。
あからさまな誤魔化しだった。でも、それ以上私が突っ込む前に、彼は「じゃあな、早く帰れよ」と、大きな望遠鏡のバッグを肩にかけ直して、階段をトントンと下りていってしまった。
遠ざかる背中に向かって、(バイバイ、星野くん)
心の中でそう呟きながら、私は小さく息を吐いた。
まだ、これが恋だなんて絶対に認めたくない。
だけど、去っていく彼の広い背中を視界がかすむまでじっと見つめてしまうくらいには、私の心は彼に囚われ始めていた。
……その時だった。
彼がさっきまで座っていた階段の段に、白い四角いものが落ちているのが、ぼやける視界の端に映った。
「ん……? 忘れ物?」
目を凝らしながら手を伸ばし、それを拾い上げる。
それは、丁寧に三つ折りにされた、少し厚みのあるA4の白い紙だった。星野くんがさっきバッグを開けたときに、ポケットから滑り落ちてしまったのだろうか。
「星野くん、忘れ物――」
呼び止めようとして、私はハッと口を噤んだ。
手元にあるその紙の、一番上の部分に印刷された文字が、歪んだ私の視界の中に飛び込んできたからだ。
【診断書】
大きく印字されたその文字の下には、流麗な文字で、はっきりと彼の名前が書かれていた。
【氏名:星野 蓮】
心臓が、ドクンと冷たい音を立てて跳ね上がる。
見てはいけない。
これは星野くんの、誰にも見せたくない秘密だ。
頭ではそう分かっているのに、昨夜からずっと彼の瞳の奥に見え隠れしていた『影』の正体が知りたくて、私の指先は勝手に、その三つ折りの紙を開いてしまっていた。
かすむ目を必死に凝らし、紙に並ぶ不穏な漢字の羅列を、上から一行ずつ必死に追いかける。
病名。現在の症状。そして、一番下に書かれていた、冷徹な医師の言葉。
【現在の進行速度から推測するに、本人の生存期間は――】
「……え?」
喉の奥から、乾いた声が漏れた。
何度も、何度も、文字が擦り切れるほどに見直した。でも、何度見ても、そこに印刷された数字は変わらなかった。
『あと、半年ほど』
は?
嘘……でしょ?
頭の中が、真っ白なノイズで埋め尽くされていく。
生存期間って、何? あと半年って、どういうこと?
失明じゃない。目が見えなくなるんじゃない。
星野くんは、星野くんの命は、あと半年で――。
『お前の目が新月みたいに真っ暗になったって、俺が……』
さっき、夕暮れの階段で途切れた彼の言葉が、バラバラになったガラスの破片のように脳裏に突き刺さる。
あの時、彼はなんて言おうとしたのだろう。
私を置いてけぼりにするなと言った彼は、私よりもずっと先に、この世界から、私の前から、いなくなろうとしていた。
「…っうっ…くん……っ」
声が出ない…。雷に打たれたような衝撃だった。
夕日が完全に沈み、放課後の廊下が急速に冷たい闇に包まれていく。
手元にある診断書を、私は破りそうなほどの力でぎゅっと握りしめた。
私の涙が紙の上にぽたぽたと落ちて、星野蓮、という文字を、悲しいくらいに滲ませていく。
いつも私の暗闇を眩しいくらいに照らしてくれていた一番星の、それが、誰にも言えない本当の『影』だったんだ――。

ーー
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