世界で一番切ない恋

ーー光のない日にーー

あれから、3ヶ月が経った。
桜の蕾が少しずつ膨らみ始めた3月。お医者さんが言っていた『十一ヶ月』というタイムリミットが、ついにやってきた。
私の世界からは、完全に『光』が消え去った。
朝起きて目を開けても、カーテンの向こうの太陽の眩しさも、自分の手のひらの形も、何も見えない。完全な、真っ暗な闇の世界。
だけど、私の心は不思議と穏やかだった。
目が見えなくなったその日、私の元に、詩織が一通の荷物を届けてくれた。
「これね、星野くんから、みーちゃんへの忘れ物だって。一ノ瀬くんが預かってたの」
詩織の声は優しかった。目が見えない私の指先が、その荷物の中に入っていた「紙」に触れる。
それは、普通のインクで書かれた手紙じゃなかった。
指先でなぞると、ぽつぽつとした小さな突起が並んでいる。星野くんが、自分の命が尽きる前の数ヶ月間、私のために一生懸命、不器用に打ってくれた『点字の手紙』だった。
私は点字の教科書を思い出しながら、震える指先で、彼の遺した言葉を一行ずつ、静かに読み進めた。
『水月へ。
これを読んでいるってことは、お前の世界が新月になっちゃったんだな。
病室では、お前の前でかっこつけて「星座になってやる」なんて言ったけど、あれ、半分は嘘。
本当は、お前の前で最後まで強い一番星のふりをしておきたかっただけ。
この手紙には、俺の本当の格好悪い本音を書かせてよ。
……本当はさ、死にたくない。
もっと、水月と話したかった。
お前にご飯作ってもらってめちゃくちゃ美味いって言って、たくさん食べたかった。
お前がこれから生きていく未来の街を、お前とちゃんと手を繋いで、迷子にならないようにずっと隣で歩いてみたかった。
泣き虫で、強がりな水月のことを、壊れ物じゃなくて、
もっと強く、
優しく、
何度も抱きしめてあげたかった。
水月、君が好きだ。
俺の分まで、どうか生きてくれ。
お前がいつか、他の誰かと出会い、
恋をして、
幸せな家庭を築くことを、
俺は絶対に怒ったりしない。
だからどうか、俺を失ったあの暗闇の場所で、ずっと立ち止まらないで。
お前がどんなに暗い場所にいても、俺の言葉が、俺の愛が、ずっとお前の足元を照らす道標になるから。
暗闇を怖がらないで。歩き出して、水月。
星野 蓮』
点字をなぞる指先が、涙で濡れてうまく動かなくなる。
「好き」とも「愛してる」とも言わずに逝った不器用な星野くんが、最期に遺した、あまりにも真っ直ぐな、私への愛。
星野くん。
会いたい、
会いたい、
会いたい。
一度でいい。
声を聞きたい。
もう一回。星野くん、
君の笑顔が見たい。
――ねえ、星野くん。
私の世界は全部真っ暗になっちゃったけれど。
君が遺してくれたこの温かい言葉の光があるから、私、もう暗闇なんて怖くないよ。
2月。詩織が一ノ瀬陸くんに、顔を真っ赤にして手作りのチョコを渡したこと。
一ノ瀬くんが照れくさそうに頭を掻きながら、それを嬉しそうに受け取ったこと。
私の目には見えなかったけれど、隣にいた私には、二人の幸せそうな声が、全部ハッキリと聞こえていたよ。
星野くんが言った通り、私の心の中には、今も満開の桜の景色が綺麗に広がっているよ。
まだ、これが恋だなんて、天国にいる君には絶対に認めたくないけれど。
でもね――私の世界が全部真っ暗になっても、
君のことだけは、私の心の中で、ずっと、一番星みたいに輝いて見えているよ。
ーー星野くん。私はこれからもこの真っ暗な世界のなかで、君の言葉だけを頼りに、騙されたふりをして生きていってあげるから。
だからー。安らかに眠ってください。 
またいつか会えるその日までー。
< 23 / 25 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop