世界で一番切ない恋

ーー満ちていく月ーー


  穏やかな春がやってきた。
今年も去年の春と同じように、白くてきれいな桜の花びらが、風に吹かれてひらひらと散っている。
だけど、新しく引っ越してきたこの街の桜は、私の知っている神奈川の桜とはどこか違って見えた。どこか遠くて、他人の世界の景色のように思えてしまうのだ。
今日は春休みが終わるまで、あと2日。
カレンダーの数字を見つめながら、私は小さくため息をつく。もうすぐ学校が始まってしまう。正直、ものすごく嫌だなと思う。
学校という場所が嫌いなわけではない。かといって、特別好きというわけでもない。ただ、誰も知り合いがいないあの空間に、自分の居場所を見失ってしまいそうなのが、少しだけ怖いのだ。
「水月‼︎ 起きなさい。今日、塾あるんでしょう?」
朝、お母さんの突き刺さるような大きい声が、部屋のドアをすり抜けて響いた。
怒鳴られた、と言うべきなのだろうか。それとも、単なる親としての注意といえば、いいのだろうか。
私の家庭はいつもこんな風に、どこか余裕がなくて、トゲトゲとした空気が流れている。
私は去年、お父さんの仕事の事情で、住み慣れた街からここまで転勤(引っ越し)してきた。
突然決まった環境の変化。だから当然、この新しい高校には、まだ友達と呼べるような人は一人もいない。
ああ。ついに、恐れていたその日がやってきてしまった。
重いローファーに足を通しながら、私は自分の憂鬱な影を踏む。
友達を作るのが人一倍苦手な私が、なんで今さら転校なんてしなきゃいけなかったんだろう。
歩き慣れない通学路を進みながら、そんなことばかりをぐるぐると考えて、重い足を動かす。
けれど、今さら考えたって仕方のないことだ。私一人が拒んだって、大人の都合は変わらない。
友達がいなければ、それでいい。1人でいればいい。誰の邪魔もせず、静かにしていよう。
そう自分に言い聞かせながら俯いて歩いていたら、すぐに大きな校舎が見えてきた。
校門の周りでは、みんなが友達と楽しそうに笑い合い、お互いの春休みの話をしながら登校している。その清々しい眩しさに、私は思わず目を伏せた。
――私は、わたしは、この輪に入れるのだろうか。
『ほら、全員着席しろー! この3-E組には、急な転校生が来たからな!!』
担任の大きな怒鳴り声のような声が教室に響き渡り、ざわざわとしていたクラスが一気に静まり返る。
『さあ……白砂水月さん。前へ』
はぁ……名前なんてわざわざ大声で呼ばなくていいのに。
心の中で深くため息をつきながら、私は渋々席を立つ。
教壇の前に立った瞬間、私はクラスの9割ほどの人から、値踏みするような鋭い目線を一斉に喰らっていることに気づいた。好奇心と、余所者を見る冷ややかな視線。それが痛くて、たまらなかった。
「白砂水月です。神奈川県から来ました。よろしくお願いします」
ただそれだけを掠れた声で一言だけ言って、私は逃げるように指定された一番後ろの席についた。
案の定、最初の休み時間になった瞬間、数人の女子が私の机の周りをあっという間に囲んだ。
「神奈川? 都会だね! どんなところ?」
「好きなアイドルとかいるの?」
「好きな芸能人は?」
悪気はないのだろうけれど、容赦のない質問攻めが降ってくる。元々人と話すのが得意じゃない私は、喉がキュッと詰まってしまって、上手く言葉を返すことができない。
どうしていいか分からず、ただ困って俯いていた私を、
「ちょっとみんな、そんな一気に質問攻めしたら答えられないよ。急に言われてもびっくりしちゃうじゃん」
と、一人の女の子が割って入るようにして助けてくれた。
「私、宮元詩織っていいます! よろしくね、水月ちゃん」
差し出された手のひらと、満面の笑み。それがきっかけで、私と詩織は仲良くなった。
詩織は、どこか同い年とは思えないほど大人びていて、驚くほど周りへの気遣いができて、誰から見ても文句なしにすごく可愛い子だ。
何の取り柄もない、ただ静かに過ごしたいだけの私。
クラスの中心にいるような、明るくて目立つ子たちを「太陽」だとしたら、自分はその隅っこにある、光の当たらない「影」の私。
どうして、詩織はこんな不良品みたいな私なんかと仲良くしてくれるんだろう。
いつも私の人生の暗いページに、そっと挟まっていてくれる彼女の優しさが、時々不思議で仕方がなかった。
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