我妻教育
未礼の額のタオルを冷やしなおす。


先ほど冷やしたばかりであったから、まだタオルはさほど温くなってはいなかったのだが。


額に貼るタイプの冷却シートが便利なのだろうが、チヨには、発熱といえば、冷却シートよりも氷枕と冷やしたタオルのほうがなじみ深いようだ。


「私も、冷却シートよりも、手作業のタオルで冷やすほうを好む」

小声で独り言を言った。

未礼は静かに眠っている。


かたく、しぼったタオルを額に押しあてる。



安堵の記憶。


幼い頃、熱を出した時のことを思い出した。

私は、身体が丈夫ゆえ、ほとんど寝込んだ記憶はない。


まれに寝込んだとき、私の面倒を見てくれていたのは兄だった。


今も昔も、両親が、普段から家に居ることなどほとんどない。

例えば学校で、私が熱を出したとて、他の学童のように親が仕事を早退して迎えに来たことなど一度もない。


私の面倒をみてくれていたのは、チヨたち家政婦や、兄だった。


「…幼い頃の私にとって、母といえば家政婦であり、父といえば兄だったのだ…」

つぶやき、私は小さく笑った。



発熱した夜は、電気が消えるとどうも不安になった。


一晩、私を見守り、タオルを冷やす。

その役目は、いつも兄だった。


夢うつつにぼやけた視界にうつる兄の姿。

ベッドに足を組んで腰掛け、タオルを冷やす。

額に押し当てる、大きな手の感触。


冷たいタオルごし。
体温など感知できないはずなのに、私はとても温かな思いがした。


「過剰な干渉による安堵を欲してしまうものなのだろう。
病気になったときの特権とでも言おうか…。
心地好く安らかに眠れたものだった…」


誰が聞いているわけでもないのに、口からもれるように、言葉が自然に溢れ出ていた。


病気になったわけでもないのに、私はとても気弱になっていた。



思い立ち、ベッドに腰掛け、足を組んでみた。

とたんに後悔した。
ブラブラゆれる自分の小さな足が、あまりに不格好で、滑稽だった。

すぐにベッドを降り、椅子に座り直した。


沈黙は、重い。
< 182 / 230 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop