我妻教育
「…すぐに用意させよう」




「食べ物の話すると急におなかすくよね」

玄関に向かう私の後ろから、未礼がご機嫌な顔で、ぴょんぴょんと弾むような足どりで敷石の上を歩いてついてくる。


「あ」
バランスを失ったのか、よろよろと倒れそうになり、
「…しまった…無駄に動いたせいで、急低下した血糖値…」
ふらふらする、と頭を押さえている。


…大丈夫か?この女…


「…腹が減って力が出ぬなら、普通に歩けばよかろう…」
「えへへ…だよねぇ」


私は、ため息混じりに引き返すと、未礼が持っているボストンバッグを奪うようにして持ち、先を歩いた。


こっちは、今、腹が立った。


自分の両手をふさぐ、未礼の荷物を強く握った。

未礼に出会ってはじめて、腹立たしい気持ちになっていた。

バッグを手に持った瞬間だ。
気づいたのだ。

未礼は、ここに来たとき、学生鞄とボストンバッグを持っていた。
ボストンバッグはさほど大きいものではなく、学生鞄とほぼ同等程度の容量かと思われる。
荷物を持とうと言った私に、未礼は感謝の意を見せ、迷わず学生鞄を差し出した。

明らかにボストンバッグのほうが重かった。

気をつかわれた。
私が子どもだからか。

そう思うと、しゃくに障った。

前を歩いていてよかった。
万一、顔色の変化に気づかれでもしたら、よけいに不快になっただろう(そもそも顔に出すなど未熟なマネはしないつもりだが)。


「あー、待って待って。啓志郎くん」
未礼が、早足になっていた私を小走りで追ってきた。


庭の電灯がともる。
あたりはすっかり暮れ色だ。


私は、立ち止まり、表情を和らげてから振り返った。



未礼の、相変わらず大きく開けられた襟元で、キラリとゴールドのネックレスが揺れた。


年季のはいった、馬蹄形のゴールド。


昨夜、未礼の祖父に見せられた写真に写っていた、未礼の母親がしていたものだ。




未礼を、我が妻として相応しい女とするために、教育する。


昨晩そう決心し、善は急げと、夜分にもかかわらず、垣津端家を訪れ、未礼の祖父に、私に未礼を預からせてもらえないかと申し出た。
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