liftoff

まさか此所に来て、赤とんぼを聞けるとは思っていなかった。
ナンプラーの匂い漂う南国のそれは、不思議と、日本で聞くそれよりも情緒があって、自然と涙がわき上がってきた。
ピアノが特別上手だとかそういうのではない。アレンジだって、特に凝ったものではないのだ。それなのに、此所の空気や温度、湿度、光線の加減、今のこのシチュエーション、全てが、わたしの涙に昇華されていくようだった。
ぐぐっと涙を堪えながら、また、一口飲む。
と、今度はウエイトレスが、バーボンを運んできた。少しホッとして、また一口。
「この曲、日本でよく聞いたりする？」
目の前の彼は、そう言いながら、わたしを見た。
そう言われてみると、わざわざ聞いたりはしないな、と思った。小学生の頃は学校で歌ったりしたけれど。だから、よく知っている曲だし、懐かしい感じがする。
そっくりそのまま彼に告げると、ふぅん、とばかりに頷いて、バーボンをごくごくっと飲んだ。
結構たくさん、ごくごくっと。
強いのだろうか、お酒。
わたしはといえば、そんなに強くないし、今も、少し、クラクラッとしかけている。
いけない、と思うのに、緊張のせいか、また一口飲んでしまった。
あまり酔ってしまうと、ホテルに帰れなくなってしまう。

えーっと……と、あまり酔わないうちに、頭のなかでシミュレーション。
これから、帰って寝るまでの行動。
でも、すでに酔いがまわっているのか、思考が進まない。

えーっと、どうすればいいんだっけ。

これから、（うまいこといけば、だけども）できるだけ良心的な金額を提示してくれるトゥクトゥクを拾って、ホテルまで無事帰り着かなくてはならない。
でないと、明日の朝の、あの美味しい朝食が食べられない。
そんなの、悲しすぎる。朝は、焼きたてのクロワッサンとロールパン、そしてグラス一杯のフレッシュオレンジジュースから、まず始めなくちゃ。