君と、○○のない物語
翌日、朔太郎は散歩がてら家から出て町を歩いていた。
しかし見渡しても四方八方田んぼや畑や、時々民家で、地平線でも見えそうな程見えすいた平地。
朔太郎は改めて田舎なんだな、と感嘆をもらした。
何もなく暇そうだが、嫌いではないしむしろこういう長閑さは好きだ。
(春海はここ、好きじゃなかったのかな)
なんで家出なんかしたんだろう。
―…いや、駄目だ忘れようって思ったばっかだった。
何もない道に来てしまったし、引き換えそう、と踵を返そうとした朔太郎はふと動きを止めた。
畦道の奥に、何か赤いものがちらちらと漂っているのが見える。
蝶かと思ったがそれにしては赤すぎるし、明らかに何もないところから突然生じて数を増やしている。
朔太郎は気になって、引き返すのをやめた。
此処からでは遠くて、あまり視力の良くない朔太郎にはどうしても赤いもの、としか認識出来ない。
基本的に近視だが、眼鏡を外したり目を細めたりしてもやっぱり赤いもの、だ。
赤いものはどんどん数を増やして、そこかしこで揺らめいている。
ひらひらと身を翻し漂って、そう、まさに泳ぐように。
「…金魚、だ。」
すっかり朔太郎を取り囲む大群になっていたそれは、見紛うこともないほど明ら
かに、金魚だった。
あちこち泳ぎ回る自由な姿は、それはもうきれいだ。
…明らかにおかしい光景だけど。
なんだこれは、疲れているんだろうか。
朔太郎は思い切り目を手の甲で擦って、もう一度辺りを見渡すが、残念なことに相変わらず金魚達は気持ち良さそうに泳いでいた。
祭りの屋台にいるような、大きめのヒレがぴらぴらした金魚だ。
涼やかなその光景に思わず見とれてしまい、暫くぼんやりと眺めていると、急に金魚達は泳ぐ方向を変え始めた。
全ての赤が空中の一点を目掛けて泳ぎ、その一点に消えてゆく。
まるで其処に出入り口があるかのように、金魚が入ってゆく度に波紋を作る。
最後の一匹まで消えてしまうと、何事もなかったように波紋は鎮まった。
最後にぴちゃんと、一雫の音を立てて。