世界の灰色の部分
先生は特にわたしに好意があるというような会話はしてこなかった。
どんな花が好きなのかだとか、ここに勤めてどれくらいになるのかだとか、自分は昔うさぎを飼っていて、とてもかわいかったけど病気で死んでしまったんだとか、そんな話ばかりだった気がする。
わたしはどれも笑顔で聞いたり答えたりしていた。
そういえば未だに、メールアドレスすら訊かれていない。まぁ訊かれない方がこちらとしては都合がいいのだけれど。
この人はいったい、何を考えているんだろう。
そんな話をしているうちに、先生が入店してから40分以上が経ち、そこでわたしにボーイが声をかけにきた。
「失礼します、瑞穂さん少々お借りします。ご指名入りました。瑞穂さんお願いしまーす」
後ろを振り返ると、店内の反対側の席に、よく来る客の姿が見えた。
髪が少ないくせにいつも整髪料の匂いがきつい、メタボリック気味のオヤジ。
そうか、そういや今日来るって言ってたっけ。
「ごめんなさい、指名かぶっちゃった。ちょっと抜けるね」
立ち上がろうとするわたしを、先生が制した。
「待って、その間ってどうなるの?」
「ヘルプの、他の女の子がつくけど。30分くらいであたしは戻るから」
先生は腕時計をチラリと見た。
「あー、じゃあその前に帰る時間きちゃうね。いいよ、俺もう出るから」
「もったいない、あと20分くらいあるんだから、他の子とも喋って帰ればいいのに。お見送りにはあたしが行くし」
すると先生は言った。
「俺は君と話しにここに来てるだけだから」
その口調は穏やかだけど、とてもしっかりとしていた。
「わかった、じゃあお会計してもらうね。お願いしまーす」

それから先生は帰り、わたしは彼を見送ると、後からやってきたオヤジのもとへとついた。
オヤジは延長して2時間いて、ドリンクもたくさん飲ませてくれたけど、何を話したか全然覚えてない。
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