世界の灰色の部分
しかし先生の言葉に驚いているヒマはなかった。
「意味わかんねぇんだよ!!」
ガッ、と鈍い音がした。田口が先生を殴った。
「先生っ…!」
先生の唇の端からは、血が出ていた。それでも必死に、田口に向かっていっていた。
田口は容赦なく、先生の胸ぐらを掴んで、再度拳をあげた。
「わかったぞぉ、お前瑞穂の客だったんだろう。瑞穂が俺にとられるのがくやしいんだろう。でもなぁ、金がなきゃ所詮お前なんて客でしかないんだよ」
「…っ」
違う。いくらわたしにお金を遣ったって、あんたはわたしにとって、やっぱり客でしかなかった。でも、でも先生は…!どうして!?先生、そんなオヤジ殴り返すくらいの力あるでしょ!さっき掴みかかっていったのに、なんで今度はやりかえさないの!?
「…先生をっ、その人を離せェェッ!!」
気付くとわたしはそばに置いてあった消火器を手に、田口に振りかぶっていた。
「…!っやめろ!やめるんだ夏実ちゃん!!」
そのとき先生の静止が、わたしじゃなく瑞穂の名を呼んでいたら、わたしは取り返しのつかないことをしていたかもしれない。でも先生は、ちゃんと、わたしの名前を呼んでくれた。
ガシャァーーンッ!!
勢いづいていたにもかかわらず、不意にわたしに手を離された消火器は壁際の大きな窓ガラスにぶつかり、それを突き破って大きな音を出した。
「なんだなんだ!?」
ものすごい音を聞き付けて、尋常じゃない事態だと思ったのか、うちの店の店長やボーイ、同じビル内の店の人間たちがかけつけてきた。
田口は脅えた顔でわたしを見ていて、先生の顔は所々赤く腫れていて、そしてわたしの目からは、涙腺が壊れたかのように、ただただ涙が流れ続けていた。
誰が呼んだのか、だんだん大きくなるパトカーのサイレン音が聞こえてきた。

< 59 / 80 >

この作品をシェア

pagetop