馬上の姫君
 十一月になると、かつて三瀬、大河内、坂内、長野の家中にあった牢人らが具親を支援、その数二千を超えるまでになった。しかし、まだ不十分である。
 そんなある日。
「我等が信雄と戦うことは、雲出川原の処刑場で死んでいった高野聖の仇を討つことにもなる。高野の大将華王院快應殿に援軍を願い出てみてはどうであろうか…」
 鳥屋尾義信が言ったことがきっかけになり金剛峯寺に使者を遣ると思わぬ回答を得た。
「吉野の僧兵もふくめて内々に七百ばかり助勢仕ろう」
 こうして吉野、高野の僧兵も加わることになり、総勢三千余の兵員になったのは年も押し詰まった十二月の末であった。
 御台屋敷の与志摩に具親の挙兵を知らせる触れ状が届けられたのは、大晦日の早朝であった。
 かねてよりこの日のことを覚悟していた与志摩はその朝、與次郎に告げた。
「それがしは松姫の女佐の臣として北畠に仕えることになった。にもかかわらず、遂にお方様をお守りすること叶わなかった。そのわしが奥方様の姪御波野姫様までお見捨て申す訳には参らぬ。また、わしが戦おうと致すは、かつて一緒に戦い、そして身罷って行った家城主水頭殿、北畠国永殿子息具就殿、本居惣助殿、閼伽桶善四郎殿、それに、信雄に捕縛され刑死した六呂木、山副、波多瀬、玉井父子、嶺、乙栗栖などの御霊に応えたいからである。與次郎、後はそなたに任せる。そなたは観音寺のお屋形様の仰せに従い、亀寿丸君、若葉様を確とお守り致せ。わしは北畠と命運をともにする。さらばじゃ」
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