母の心音(こころね)
妹も結婚し、子供は皆育った。母のノートは、これで終わっていた。五年間の年月日は飛び飛びである。これを思うと、自然に湧き出たその時々の母の記録である。それゆえに、なおいっそう母の心音が染み渡る。私は知らなかった。このような思いをしていた母を知らなかった。母が居ない今、なおさらのことである。
 あれから二人は、本格的に花屋を始めた。冠婚葬祭の造花である。田舎に帰った時、手伝ったこともある。正月ともなると、正月のお飾りを作るのに、忙しかった。店は繁盛して、朝は暗いうちから、夜も暗くなるまで働いた。
 歳を取り、働けなくなって、長男一家とスープが冷めない距離に家を立て、子供相手の小さな店を開いて、暫く二人で暮らした。五月の連休に電話を入れると、朝早くから街道に出て、傍らの石に腰をおろし、流れる車を見ていたそうである。田舎に帰ったときに、その家の前に行くと、「よう来てくれたな」と、出迎えてくれる二人の姿が浮かぶのである。父が九十歳を超えて先に逝き、独り取り残された母は、一番可愛がっていた末娘のところで三年ほど暮らした。その後、長男の家に帰り、九十一歳を越えて去って逝った。
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