月夜にヒトリゴト

バイト

日常的に“お金”のやりくりをしないといけなくなった私は、明け方のコンビニのバイトに出かけることになった。
5時から8時までの短時間とはいえ、小さい子ども達がいたので、旦那の出勤時間には自宅に帰っていないといけなくて、たくさんの人々に迷惑をかけつつ、お世話になりつつ、早朝バイト生活は始まった。

旦那は、決していい顔はしなかった。
でも、ちょうど子ども達が習い始めた、スイミングと英語の費用に当てるのであればと条件付で、協力してくれた。

協力といっても、ただバイトを認めてくれただけだった。
子ども達の朝ご飯の準備と、旦那の弁当を作るために、私は、4時に起きて支度を済ませてから、出勤する毎日だった。

旦那とバトンタッチで、帰宅すると、子ども達を制服に着替えさせ、幼稚園にバタバタと連れていった。
年子の子ども達だったので、幼稚園代が嵩むと、送迎バスのある私立の幼稚園ではなく、町の外れにある公立幼稚園に送り迎えをしていた。

それが、主婦の務めであり、私の仕事であると、旦那は、家の事も、幼稚園のことも、地域のことも、全く協力しない人だった。
自分は働いてるんだから、それで充分役割は果たしていると、週末になると、友人達と約束をいれては、一人で出かける人だった。

バイトを始めたとはいえ、習い事にお金を入れるとなると、たいしたお金は残らなかった。
実は、時を同じくして、もう一つバイトを始めていた私。
それは、旦那には内緒の副業だった。

子ども達を園に送り届け、とんぼ返りで近所のファミレスでウエイトレスのバイトもやっていた。
9時~13時の4時間。
家に帰る間もそこそこに、お迎えの時間だった。
平日だけの辛抱だったが、早朝4時おきで、5時間ほどしか寝れず、朝ご飯も昼ごはんもほとんど食べれず、幼い子どもの世話をしながらの暮らしは、緊張を強いられた。

慣れない客仕事に、女性だけの職場。
平日の昼間だけしか入れないという条件で始めたバイトだったが、まるで“特別待遇”だと、陰口を叩かれてるのも知っていた。
それでも背に腹はかえられない・・・
そんなバイト生活を、引越すまで3年間続けたことになる。

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