愛と青春と追憶の みどる。
全日程の最後は、
私の第一志望の学部、
ナマズ大学ナマズ学部の、
合格発表でした。
合格でした。
嬉しいという感情は、
がっかりするほど、
全く、ありませんでした。
勝利のおたけびも、歓喜も、
苦労を乗り越えたという、涙も、
何も、ありませんでした。
ただ、ひとつ、
終わった
全ての戦いが
これで
終わった
そんな思いだけが、
ただ静かに、
何の感慨も感情もなく、
すっと、出てきました。
スロープをあがったところにある、
校舎の中庭で、
合格発表の掲示板を見たあと、
中庭から階段を下へ降りたあたりに、
大学の生協の売店があり、
その売店の脇に、公衆電話がありました。
わたしは、
ナマズ先生のご自宅に電話をかけました。
電話には、
ナマズ先生のお母様が、
お出になりました。
私は、
小学校から中学校の途中までは、
ナマズ先生のお母様に、
勉強を教わっておりました。
お母様は、
わたしが、
浪人生活をしていることも、
わたしが、
ナマズ先生と同じ大学を
目指していることも、
ご存知でした。
ちなみに、
お母様のご出身大学も、
出身学部も、
この時、
私が公衆電話をかけていた、
この大学の、この学部なのでした。
私の第一志望の学部、
ナマズ大学ナマズ学部の、
合格発表でした。
合格でした。
嬉しいという感情は、
がっかりするほど、
全く、ありませんでした。
勝利のおたけびも、歓喜も、
苦労を乗り越えたという、涙も、
何も、ありませんでした。
ただ、ひとつ、
終わった
全ての戦いが
これで
終わった
そんな思いだけが、
ただ静かに、
何の感慨も感情もなく、
すっと、出てきました。
スロープをあがったところにある、
校舎の中庭で、
合格発表の掲示板を見たあと、
中庭から階段を下へ降りたあたりに、
大学の生協の売店があり、
その売店の脇に、公衆電話がありました。
わたしは、
ナマズ先生のご自宅に電話をかけました。
電話には、
ナマズ先生のお母様が、
お出になりました。
私は、
小学校から中学校の途中までは、
ナマズ先生のお母様に、
勉強を教わっておりました。
お母様は、
わたしが、
浪人生活をしていることも、
わたしが、
ナマズ先生と同じ大学を
目指していることも、
ご存知でした。
ちなみに、
お母様のご出身大学も、
出身学部も、
この時、
私が公衆電話をかけていた、
この大学の、この学部なのでした。