世界の説明書
 生きていれば不安な事や、嫌な事、自分の力ではどうしようもない事が起こる。少しでもその状況を己にとって、いい方向へ変えようと必死に努力するのが人間の運命だろう。良い事、や、うれしい事なんて、そういった努力の副産物に他ならない。家から出なければ、人に文句を言われることも無ければ、人に褒められる事もない。いつ起こるとも判らない何かに怯えて、家の中に閉じこもり、非現実的なセカイに没頭したとして、現実は何も変わらない。ただし、その没頭していたセカイが彼等の現実であれば、一体この世界の現実の存在意義はどこにいってしまったのだろう。その忘れ去られた現実の世界は今も彼らのセカイと平行して存在しているのだろうか。世界はどこにあり、我々はどこにいるのだろう。大金を持っていなければ、自分は生きている意味がないと思う者。美しくなければ、自分は存在している意味がないと思う者。それら全ての者は、自分の意味を、生きる意義を自分で自分に掲げる。しかし、はたしてそうだろうか。人の意味なんて、そもそも、おかしな言葉だと思わないか。自分で自分の意味を知るなんて、事が果たして人間に出来るのだろうか。他人の力を借りて生まれてきて、誰かに育てられた者に、純粋な自我などあるのか。誰かの受け売りの言葉、経験を自らの環境に融合させ、その中で自分が理想と思う自分を、少しの他人からの評価と、自分の経験とを織り交ぜて一人よがりに勝手に想像し、創造する。変わる事が成長というのなら、老いもまた、成長となり、凝り固まっていく観念が昔を繰り返させる。昔と同じように出来ない昔を今楽しむ。正人はそう思う様になっていた。正人はそれらの全てをやめた。もう戻れない時間を待っているより、これから始まる不安定で新しい現実に自分なりに折り合いを付けていく事を選んだ。自分なりに、はするが、自分が決めた物差しで世界を計るのをやめた。
 なぜなら、
 
 不幸になるからだ。
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