危険な誘惑にくちづけを
 思わず。

 今まで、佐倉君から逃げようと、ぎゅうぎゅう押していた手の力が抜けた。

「さ……佐倉君っ……!
 何を莫迦なコト……!」

 お酒に酔ってるわけでなく。

 意識のはっきりしたこの状態で、そんなコト。

「出来るわけないじゃない……!」

 そんな悲鳴に近いわたしのささやき声を、佐倉君はあっさり無視した。

「いいや。やって?
 ……春陽ちゃんは、出来るはずだよね?
 だって、他のヒトには知られたくない秘密が一杯あるんだから、ねぇ?」

 佐倉君の頬笑みが、これ以上ないほど意地悪になって……わたしを追い詰める。

「唇を唇にちょっと、重ねるだけじゃん。
 写真をばらまかれるよりは、だいぶ簡単なことじゃない?」

「う……」

「あと少し、春陽ちゃんがオイラに近寄るだけじゃん?」

 でも。すぐ近くのその距離が。

 わたしにとって悲しいほど、切ない距離だった。

 紫音への裏切りの距離だった。

 身が震えるほどにすくんで、絶対に進めないわたしに、佐倉君はとどめを刺した。

「……春陽ちゃんは、昨日。
 もう、とっくに彼氏を裏切っているんだよ?
 ……あの、いやらしい声をオイラに聞かせた時点で……!」

「……!」




 ……息の根を、止められた、と思った。
 

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