AEVE ENDING








「空、きれいだ…」


それでも、彼女は云うのだ。

重く垂れ込めた毒を孕む暗雲を、空を、憐れな球体を、彼女は。



(…僕なんかよりずっと、大切だ)

自身と相等などしない。

この存在は、僕にとってなによりも、慈しむべきもの。


「変なこと言っていい?」

震える下肢を無理に持ち上げ、僕の腰に回すように、抱きついてきた。

首に絡んだ腕の柔らかさに目を細めながら、以前もあった光景だと思い出す。

以前は、白い海ではなく、暗闇の海だった。

あの夜の音が、木霊する。



「こんな、死ぬほど痛いのに、」

辛いのだろう。

必死に笑うその表情に、寧ろこちらも辛くなってくる。

今はまだ静かに繋がったままの器官が、徐々に決壊してゆく音。



「嬉しくて、泣きたい…」

ねぇ、雲雀。


問い掛けを聞く前に、呼吸を止めた。

ぞ、と背筋を沸き上がる快感と恐怖が相俟って、まるで。



「―――…っ」

どうしようもないままに口付けて、あぁ、もう、こんなにも、好きで。


「…っ、」

荒い息が際限なく漏れて、橘と僕の匂いしかしない。

暗闇はいつも手をこまねいていた。

世界を奈落に落とす手を持つこの僕に、君はいつも。



「ひばり、」

涙がこんなにも美味しそうに見えるのは、僕の為のものだからか。


壊すために、ただ乱暴に。

悲鳴と嗚咽を上げる体をただ抱き締めて慰めるしかできない僕は、無力だ。

雨音はもう、届かなかった。

ただ、橘の心臓と自分の心臓の音だけに耳を傾けて、軋む彼女の体を、穢していく。


(…泣きたいのは、僕もだ)

何故、涙が流れているのか、分からなかった。

ただ、込み上げるなにかに息を乱し、暗闇に浮かぶ橘の白い肌を目に焼き付ける。

涙が拭われる感触を、産まれて初めて知った。

満たされる全てを、女が持つ根底に射す強さを、初めて知った。
奪え、と全身で訴えかけてくる抗いがたい引力。

蠢くすべての始まりの場所に、ただ陶酔するしかない惨めな男はもう、このまま死んでも構わないと。





―――あぁ、白の中に満ちていく。


世界が光に包まれる瞬間、貴方と息絶えてしまいたい。





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