AEVE ENDING





「―――皇よ」

黒々とした口髭を蓄えた男が、ひたりと湿る地面に膝を着いた。
目の前には、荒み廃れた玉座に座す、真紅の男。

「船が一隻、こちらへ向かってきております」

皇、と呼ばれた男は反応しない。
ただ静かに、眼下に跪く男の言葉を待っていた。

「乗組員は今のところ甲板に男女が二名。二人の姿からして西部東部の箱舟―――アダムです」

来たか。

玉座に座る男が、小さくそう囁いた。
咥内で呟いた言葉は、周りを取り囲む家臣達には聞こえない。

「全住民に警告を。奴らには絶対に見つかるなよ」

さらりとした衣擦れの音と軽く跳ねる足音。
頭を垂れる男―――先王から使えている老中からは見えないが、皇が玉座から腰を上げたのだろう。

「…皇よ、上陸を許すわけにはいきません。攻撃なさいますか」

男は顔を上げぬまま、更に皇に窺う。
跪かれる皇は、脇に差していた日本刀の柄をいじりながら外に目を遣った。
見慣れた薄汚い水平線に、見慣れない小さな一隻の船。
それを視認し、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。


「攻撃もなしだ」

これから行われるであろう激戦を前に、知らず知らず口角が釣り上がる。
皇は男にひらひらと手を振りながら、にやりと顎を撫でた。

チャリ、とくすんだ鍔が鳴く。



「―――俺ひとりで行く」

軽く吐き出された皇の言葉に、跪いていた男がとうとう顔を上げた。
その嗄れた顔には焦燥と驚愕、そして僅かな諦観。

「…お、皇よ、何度も言わせて頂きますが、貴方は我々の」

心労の祟った枯れた声が痛ましい。
しかしそれも、快活で明快な声にすぐさま遮られる。

「わかってんよ。指導者は指導者らしく、お前等を守ってやる。だから、蕎麦でも啜って奴らが逃げ帰るのを待て」

そう年若い皇は言い捨てると、その場を大股で後にした。
後には、完全に呆れ返った家臣達が残る。

この執政の場において、静謐が支配している筈の空間に、廊下から聞こえてくる大きな笑い声と乱暴な足音が木霊した。





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