恋時雨~恋、ときどき、涙~
おじさんの目が急激に潤いを増した。


「いずれは、順也にも言わなければいけないんだけどね。でも、迷っているんだよ」


何を? 、と訊く代わりに、わたしは頷いた。


「順也、もう、歩けないかもしれないんだ」


わたしの足の爪先頭のてっぺんまで一気に電流が走った。


わたしは、持っていた巾着袋を足元に落とした。


スポーツ万能で、中学時代は野球部でショートを守備していた。


順也は、足が速かった。


短距離走も、長距離走も、順也はいつも学年で3位以内だった。


歩けなくなるかもしれない。


もう、二度と。


一生、音が聴けないわたしの耳と同じように、順也も歩けなくなってしまうかもしれない。


本当に悲しい時、人間は涙も出ないことを知った。


アスファルトに落ちた巾着袋を拾って、おじさんが言った。


「親なのに。自分の息子なのに。何を、どう、説明したらいいのか分からなくてね」




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