恋時雨~恋、ときどき、涙~
悔しそうに泣き出したおじさんに、わたしは何も言ってあげる事ができなかった。


こんな時、耳が聴こえて、声を出せたら、どんなにいいだろうか。


言葉にできない思いを、どうにかして伝えたかった。


何も言ってあげられない代わりに、わたしはおじさんの手を握った。


きっと、大丈夫。


その手は大きく温かく、でも、少しくたびれた大人の手だった。


絶対、大丈夫。


心の中で言いながら、わたしはおじさんの手をきつく握り締めた。


時間がかかるかもしれない。


でも、順也なら、受け止められる。


絶対に、前向きに生きてくれる。


わたしは、そう信じて疑わなかった。


家に入ると、お父さんとお母さんが出てきて、わたしが何かを伝える前に抱き締めてくれた。


熱帯夜なのに冷えたわたしの身体は、すぐに温かくなった。


わたしは、まだ何も言っていないのに、お母さんの両手が言った。


「今度は、真央が、順也くんの力になる番だね」





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