白いかけら
「ウィン!」
幾度となく彼女の名を呼び、ふらつく足取りで彼女に近づく。
 彼女は、夢のように俺の方を振り向くことはなかった。
 俺が彼女の肩をつかむまで、彼女は何の反応を見せなかった。
 肩をつかむと、彼女は以前のように肩を震わせて、顔と光のない目をせわしなく動かした。
「ここだ。おれは、ここだ」
頬に触れ、彼女の顔を俺の方に向ける。
 彼女の顔は不安に溢れ、瞳は小刻みに震えていた。
 彼女は、口を開き何か話そうとしているけれど、それは獣か何かのうめき声のようで何を話しているのかわからなかった。
 彼女にもそれがわかったのか、頬にそえられている俺の手を取り、その平に細い指を走らせた。
 最初のうちは何をしているかわからなかったが、しばらくして、彼女が文字を書いているのだとわかった。
『ラドなの』
「そうだ」
彼女のは、首を横に振った。
『耳がもうほとんど聞こえないの』
俺は、目を見張った。彼女が握る俺の手が、小刻みに震える。目から、雫が滑り落ちる。
『ねぇラドなの』
俺も彼女の手を取り、震える指でその平に文字を綴る。
『そうだ』
『どうして帰ってきたの』
やっぱり、彼女は怒っていた。
『俺がいたいからだ』
『私はいたくない』
『それでもいい』
彼女の手が震え、字を書く指が止まる。
『どうして』
『俺の意志だから』
『私はいたくないって言ってるでしょ』
『それでもいる』
彼女の目から、涙が溢れる。
『いてくれるの』
『当たり前だ』
彼女は手で口を覆い、泣きじゃくった。
 口を開閉して、声を出した。そして、手探りで探し出し、俺を抱き寄せた。
「ありがとう」
そう言う彼女の声が、俺の耳に届いた。
 俺も、彼女を抱きしめた。
 彼女の体は温かく、生きていると感じられた。
 そう、彼女は生きている。どんなになっても、生きていてくれているのだ。
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