キミは聞こえる
 そう言ったのは悠士である。

 軽く息を上がらせながら、悠士は手荷物いっぱいの弟にずいっと財布を押しつける。

「なにこれ、かーちゃんのだけど」
「牛乳、砂糖、中濃ソース、燃えるゴミの袋、ティッシュ」
「は、な、なに――」
「荷物は泉のだろう。俺が届けよう」

 財布の代わりに無理矢理荷物を受け取ろうとする兄を半ば蹴るように弟は追いやる。

「あの――」

 おまえが行け、頼まれたのは兄貴だろ、年上の命令は絶対だろう、かーちゃんだって年上だろ、母親は別だ、と激しい応酬を繰り広げる兄弟に泉が割って入る。

 どうした、と悠士がいつもの落ち着き払った調子で返す。

「もうずいぶん後ろだと思うんですけど、黒のコートを腕にかけた男の人、見えませんか」
「コート? ……あぁ、さっきまでおまえらをガン見していやがった男だな。なんだ、知り合いか」

 さすが。悠士は気づいていると思った。

「いえ………今はもう見てませんか」
「見てないな。俺がこうして立ち止まるまではずっと見ていたが、今は背を向けている」

 確認してみればいい、と言われ、そろそろと振り返ると、はるか遠くにそれらしき後ろ姿を捉えた。

 振り返ろうとする気配も見せないので、ほっと息を吐く。

 しかし、肩の力を完全に抜いてしまえるほど、心穏やかに安堵することは残念ながら出来なかった。

 思いたくはないけれど、この小骨がのどに刺さったような感覚は、なにかよくないことが起こる兆しであるように思えてならない。

 遠ざかる男の背に、しかし胸騒ぎは確実に大きくなっていく。

「なんか、嫌な目つきの男だったな」
「うん」
「代谷?」

 気のない返事をする泉に、桐野と悠士は顔を見合わせた。

 そんな彼らに泉が気づくことはなかった。
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