臆病者の逃走劇


「ま、あの時は疑われてもしゃーなかったんだけど。ほんとに遊んでたし」

「…そう…」

「でも誤解すんなよ。あの頃の話だから」



そこまで言って東条くんは言葉を止めると、私をじっと見下ろした。

どくん、と胸が痛くなる。

その痛みに胸をおさえた私に、彼は一歩、距離を縮めた。


そしてまた一歩。


一歩。


とうとうすぐ目の前までくると、東条くんは私の髪の毛を一房だけ掬い取って。

キスした。

髪にまで神経が通っているみたいに、そのキスに、ドキドキした。



「あの時の山本の顔が、頭から離れねぇんだ」



髪の毛を唇に寄せたまま、東条くんは上目遣いに私を見て話す。

時折、その目を切なげに細めて。



「ずっとずっと。遠慮がちに触れて起こしてくれた手とか、気遣うように話す口調とか、俺を見上げる目線が」



彼から紡がれるひとつひとつの言葉が、

私の心を切なく揺らす。



「優しく笑った山本の顔が…ずっと忘れらんなかった」



それは、運命なのか。

私が彼に感じたのと、同じで。



 
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