かえりみち
由紀子の「あの時」の記憶には、歩の姿はない。
誰もいないはずの家の中で物音がして、寝室に若い男が入ってきた。
顔はよく見えなかった・・・でも、あの男によく似ているような気がして、怖くなって・・
手当たり次第に物を投げつけた。
気づいたら、薄暗い寝室の床に、ガラスの破片が砕け散っていて。
若い男は、どこにもいなくなっていて。
代わりに動かない歩が、その真ん中にくずおれていて。
ガーベラの小さな花束が、つぶれてその脇に落ちていて。
歩の頭の下から、血だまりが目に見えるスピードで床に広がっていた。
由紀子の「あの時」の記憶には、歩の姿はない・・・はずなのに、なぜだか、自分を見つめる歩の瞳だけは、時々突然思い出す。
歩の瞳は、まっすぐに自分を見ていた。
助けを求めるように。
自分を責めるように。
愛に飢えているかのように。
憎しみをこめているかのように。
世界で最も深い悲しみを見ているかのように。
由紀子は、思わず口から出そうになった数万1回目の「ごめんね」を飲み込んだ。
「ごめんね」なんて、軽すぎる。
そんな言葉をいくら並べたって、あの子は私を許しはしない。
だから、
だから来たのね?
うちに。