紅芳記
──それから、数ヶ月。
秀次様の切腹の後の大地震や、その他数多の地震等により、慶長に改元。
文月の地震では、伏見城も一部が崩れ、実は真田屋敷も少なからず被害を受けていました。
一部の人間は、これを秀次様の祟りだと噂した程、大きな地震でございました。
その慶長元年の師走、豊後にて、伴天連の宣教師が殺されるといった事件がありました。
これにも様々な反論が湧き、豊臣家による政にも、いよいよ陰りが見え始めて参りました。