アリスズ

 目が──開いた。

 時は、夕刻になろうとしていただろうか。

 まだ、熱は下がりきっていないが、室長はゆっくりと目を開けたのだ。

 景子は、それにほっとする。

「もう少し、水分を取った方がいいです…」

 ソファでうつらうつらしていたネイディを起こして、彼に何度めかのスポーツ飲料もどきを飲ませる。

 熱ではっきりしない視線だが、それでも彼の目は物問いたげだった。

 何故ここに、部下がいるのか分かっていないようだ。

 彼女は、ようやく彼の光が、爆ぜなくなったのを確認していた。

 それに、ほっと胸をなでおろす。

「まだ、水差しには入っていますから、まめに飲んで下さい。お医者様も呼んで下さいね」

 後ろ髪は引かれるものの、彼女に出来るのはこれが精いっぱいだ。

 もうそう遠くなく、彼の兄も帰ってくるに違いない。

 退散すべき時だった。

「それでは、失礼します」

 ネイディは、身なりをきちんと整えて、景子は何度も振り返りながら、そしてようやく屋敷を出て行ったのだ。

 はぁ。

 農林府への道をたどりながら、景子はため息をついた。

「ため息をつきたいのは、僕の方だ」

 ネイディは、本当に肩を落としている。

「僕の出世の道が、このまま閉ざされたら、ケーコのせいだからな」

 そしてまた、彼女に巻き込まれたことを嘆くのだ。

 しかし、景子はネイディを見ながらも、微かな笑顔になっていた。

 まだ、完全に室長が大丈夫だと決まったわけではないのだが、彼女は出来る限りのことはしたのである。

 あの時とは、違うのだ。

 だが、景子は同時に分かっていた。

 これは、ただの自己満足なのだと。

 あの上司に対して、とりわけ強い好意を抱いているわけでもない。

 それは、本当に重々分かっている。

 ただ。

 赦されたかったのだ。

 自分に──赦されたかった。
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