アリスズ

「この苗でよろしいでしょうか?」

 両手で苗を抱えているので、少し下にずれたメガネを、景子は直せないでいた。

 視界の一部が、猛烈にぼんやりとしてしまう。

「元気そうな苗ですね…それをお願いします」

 着物の女性が、目を細めて微笑む。

「では梱包しますので、少々お待ち下さい」

 根元を包もうと、景子はぱたぱたと紐やら新聞紙やらを準備を始める。

「何かよいことがあったんですか?」

 袴の微妙な空気には気づいていたが、彼女はあえて聞いてみた。

 お祝いの買い物を、花屋にしにくる人を好きだったのだ。

「はい…弟が生まれたんです」

 本当に、着物は嬉しそうだ。

「そうですか、おめでとうございます。こんな綺麗なお姉さん二人に祝ってもらえるなんて、弟さんも幸せですねっ」

 その嬉しさは、景子に簡単に感染する。

 この目のせいなのかもしれない。

 逆に言えば、悪いものも感染しやすいのだが。

 そんな幸福感染モードで、彼女はぺらぺらと語ってしまった。

 一瞬。

 袴は驚いた顔をして。

 着物は、ぷっと吹き出した。

「ご、ごめんなさい…菊を見て一目で女性だって分かる人も少ないんです。菊は袴ばかりですから」

 驚いた顔をした袴──菊を見て、もう一度彼女はおかしそうに笑う。

 ぷいと、また菊はあらぬ方を向いてしまった。

「へえ、綺麗な花の名前ですね…じゃあ、あなたも花の名前ですか?」

 慌てて、景子は違う話題を振った。

 その件は、深く突っ込んではいけないと思ったのだ。

 すると。

 今度は、袴の唇の端が、少しだけ上がった気がした。

「はあ…私の名前は…その…」

 少し顔を赤らめて、着物の女性は口ごもる。

「その……梅と申します」

 綺麗で丈夫な花なのに。

 古風すぎて、周囲にからかわれたことがあるのだろうか。

「寒い中でも美しく咲く、素晴らしい花の名前ですね」

 景子がにっこりと笑うと。

 頬を赤らめたまま、彼女は「ありがとうございます…」と返してくれた。

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