アリスズ

 梅は──すっかり疲れ果てていた。

 いくら荷馬車の上とは言え、長時間ぐらぐら揺れ続ける移動に、慣れているわけではないのだ。

 夫人が心配する中、二日目の彼女はずっと荷馬車に横たわっていた。

 夕刻。

「ウメ、もうじきよ。じき、テイタッドレック卿のお屋敷よ」

 町に入る門をくぐった時、イエンタラスー夫人は明るい声を出した。

 重い頭を、彼女はようやく起こしたのだ。

 荷馬車からは、通り過ぎた景色のみが見える。

 後ろに広がってゆく町並みは、夫人の治める町と同じように穏やかだ。

 日が沈む前に用事を済ませようと、男も女も足を急がせている。

 その足が止まって、荷馬車の方を見送るのだ。

 立派な荷馬車に、誰が乗っているのか、好奇心をおさえきれないのだろう。

 子供が、親の制止を振り切って走ってくる。

「テイタッドレック様のところへ行くの? おいらが案内してあげるよ!」

 無邪気な怖いもの知らずの子供は、そう叫んで近づこうとしたが、近くの大人に首ねっこを捕まえられて引き戻された。

 ふふ、と。

 梅は少し笑った。

 笑う元気を、もらった気がしたのだ。

 子供とは、本来ああいう無邪気なものを言うのである。

 菊と景子を連れて行った子供に、邪気があるというわけではない。

 ただ、比較対象があると、やはり『彼』は異質であった。

 たとえ、領主の上の地位にいる者の子息であったとしても。

 まだ、梅の知らないことがたくさんあるのだろう。

 イエンタラスー夫人も、無事彼らの旅が終わったと報告がきたら、ゆっくり話をしてくれると言った。

 もし、旅が失敗に終わったら、話すことが全て無駄になるのだと。

 彼女は、そういう考えの持ち主のようだった。

 荷馬車が、止まる。

 御者兼警護の三人の男が、素早く降りてきて荷馬車に足場を作る。

「ウメ…立てるかしら? 抱いていってもらう?」

 夫人は、彼女に問いかけた。

「立って参りましょう」

 初めての訪問で、みっともないところを見せるわけにはいかない。

 梅は、男に手を取ってもらいながら、ゆっくりと立ち上がったのだった。
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