その唇、林檎味-デキアイコウハイ。
 星丘惺の方にはなるべく行かない、そう努めた。決して仕事をさぼっていた訳ではない、其方に行かないだけでちゃんと働いてはいる。

 寧ろ、今彼の方に行ったら、やたら絡まれそうで。それこそ仕事にならない、それが言い訳なのか否かは私自身曖昧だけど。


「凛呼ちゃんー!ちょっと来て!」


 然して大きな声ではなかったけれど、スッと通って私の耳に届く。

 私より二つ年上、大学一年生の先輩。名前は藤原 かすみ(フジワラ カスミ)。いつもよくしてくれる、優しい先輩。

 申し訳なさそうに、顔の前で手を合わせているのが見える。急いでそこまで歩いて行った。


「お客さんがグラス割っちゃって。ごめんけどあたし、さっき急ぎで買い出し頼まれちゃったから、片付け頼んでいい?」


 周りには聞こえない程度のひそひそとした声で、でも決してそんな雰囲気は出さずに。割れた音さえ聞こえていなかった私は、どうしてしまったのか。


「分かりましたっ」


 店の奥まで軽く駆けて、箒と塵取りを持ってくるある程度片したところで、掃ききれなかった小さなガラス片に手を伸ばすのだけど。


「……っ」


 早く済ませてしまわないと、と慌てて触ったのがいけなかったのだろう。指先を切ってしまった自分に、思わず呆れる。

 丁度傍を通りがかった他のバイトさんに見つかってしまって。大丈夫と言っては見たもののなかなか血が止まらず、最終的にはその人にやたら大袈裟に手当されるという結果に終わった。

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