ラヴレス
「それで、その人の名前は―――」
住職が気を遣って、先手を打ってキアランに問い掛けた。
目の前の青年が、その女性になにか言い様のないなにかを抱えているように見えたからだ。
吐き出し難いものを、それでも必死になって吐き出そうと、躍起になっているような―――。
「…名前は、」
奥方が淹れた緑茶は当の昔に冷めている。
廊下を隔てた喧騒が、やけに遠くに響いていた。
「『チフミ』、と」
大切な叔父上の、大切な人。
「…チフミ、ですか」
老夫婦は困ったように眉尻を下げた。
その名前には、聞き覚えがなかった。
残念そうにふたりは溜め息を吐く。
このお人好しの老夫婦は、ついさっき出会ったばかりのこの青年の力になれたら、と考えていたのだ。
今、ふたりが目の前にしているアナベルト・シュナウザー家のキアランは、その莫大な財産やキャリア、家柄に関係なく、様々な老若男女から無差別に好かれるような青年だった。