楽描屋ーラクガキヤー
 翌月、彼は空に居た。
 有人駒の操縦資格を持つ彼は、空襲要員として新型の飛行人機の機士(パイロット)に選ばれたのだ。
 彼は仲間と共に空から敵基地を襲撃、大きな戦果を挙げ──るはずだった。
 国境に差し掛かる少し手前、彼は司令部の命令を無視、突如友軍に撤退命令を出す。
 結果、その日の内に制圧できるはずだった敵国の前線基地は爆撃を受けず、戦争は更に二ヶ月延びる事となる。
 彼は一時は反逆者として罰せられたものの、様々な苦難の末に和平大使として敵国へ向かい、見事和平を締結してみせた。
 結果論ではあるが、戦争の犠牲者は空襲が成功した時より遥かに少なく抑えられたと言われている。
 彼は戦場上空を飛んだ時、眼下に一枚の絵を見たらしい。
 それは地面を掘り岩を穿ち残骸を並べて描かれた、とんでもなく巨大な地上絵だったという。
 誰がどうやって描いたかは分からない。
 その絵には、彼とその家族そっくりな人物が描かれていた。
 周りには上司や部下、更には敵国の軍服を着た男達の姿も見受けられ、その全員が腕を組み、肩を抱き、幸せそうに笑っていた。
 彼はなんとなく戦場で出会った二人の少女と、彼を非難する詩を思い出したが、すぐにそんな妄想を振り払った。
 たった二人の少女が、一ヶ月程度であんな巨大な絵を描けるはずがないじゃないか、と。
 それでも彼は、その不思議な地上絵を見た事で命のやりとりの悲しさを悟った、と後に語っている。
 全ては偶然の産物だった。
 岩場で二人の少女に遭遇したのも。
 二人に家族や戦争の話をしたのも。
 戻った戦場で彼が生き残れたのも。
 彼が空襲作戦要員に選ばれたのも。
 彼が空から地上を見下ろしたのも。
 そこにはただ一つとして、恣意的な物は存在しない。
 地上絵を描いた本人は、別に停戦を呼び掛ける為に絵を描いた訳ではないのだろう。
〝彼女〟を知る者に言わせれば、〝彼女〟が戦争という概念を理解していたのかも怪しいと答えるかもしれない。
 だからこそ、それは奇跡なのであり、偶然でしかないのである。
 もう一つだけ偶然があるとすれば、彼が出会った二人の少女の片割れが〝楽描屋(ラクガキヤ)〟と呼ばれている事を、彼は知る機会が無かった事だろうか──
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