渇望
泣いているつもりなんかなかったのに、でも視界は滲み、瑠衣の顔が見られなくなる。


刹那、強い力で抱き締められた。


指輪はあたしの手から落ち、ころころと転がって、ジッポの傍で止まる。


だから堪えられなくなって、肩を震わせた。



「お前と会えて良かった。」


瑠衣は声を絞った。


きっと彼だって言いたいことは山ほどあったのだろうけど、でも、それが精一杯だったのかもしれない。


あたし達は、どちらからともなく静かに体を離す。



「百合のことも、子供のことも、俺絶対忘れないから。」


「うん。」


「くだらない会話も、つまんねぇ出来事も、ちゃんと全部覚えてるから。」


「うん、あたしも。」


それ以上の言葉なんてない。


けれど、確かにあたしは救われたのだ。



「荷物、好きな時に運び出して。」


さよならなんて言わないし、ましてや瑠衣はこれからどうするのか、なんてことももう聞かない。


あたしは静かに頷いた。


立ち上がり、背を向けると、視界の端で瑠衣が顔を歪ませるのを見た気がする。


けれどそれを振り払い、あたしは彼の部屋を後にした。






月が綺麗な夜だった。








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