隣の先輩
第45章 多くの思い出と共に
 マンションの前に着く頃にはびしょびしょになっていた。


 先輩はマンションの中に入ると、つかんでいた私の手を離す。


 そして、二人とも言葉を交わさないままエレベーターに乗ってしまっていた。


 狭い空間に入ると、息苦しさを感じていた。


 断るなら、断ってほしかった。


 私は先輩を見られずに、足元に目を向けていた。今日のために履いていた茶色のローファーに泥がついていた。


 私の手に冷たい手がなぞるように触れ、力強く握られていた。


 先輩が私の手を握っていた。


「ありがとう」


 私がリアクションを示す前に、エレベーターにかき消されそうな、弱い声が響く。


 そこでやっと先輩を見ることができた。


 その言葉の意味を聞く前に、先輩の唇が再び震えていた。


「さっきのこと。嬉しかったから」


 そう言うと、先輩は少し笑っていた。


 エレベーターがとまると、先輩は私の手を離していた。


 私は先輩の後を追うようにして、自分の家の前まで来る。


 先輩は鍵を取り出して、鍵を開ける。


 私はそんな先輩の後姿をただ見守っていた。


 先輩は扉に手をかけると、肩越しに振り返る。


「後で、渡したいものがあるから、着替えてからちょっと来いよ」

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