龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
新選組の近藤と土方は徳川家の正式な家臣となった。徳川幕府のやぶれかぶれだったのだが、これで彼等は念願だった「サムライ」になれたのである。
近藤勇は見廻組与頭格(旗本、上級武士)、土方歳三は見廻組肝煎格(御家人)、沖田たちも見廻組(御家人)となった。幕府としては「賊軍」となった以上、ひとりでも家臣、部下がほしかった。そこで百姓出身の新選組でも家来にしたのである。
”困ったときの神だのみ”……ではないが、事実はその通りだった。
薩長は徳川慶喜の追放について御所で密談した。しかし、そこは天皇の御前である。岩倉はしきりに徳川慶喜を死罪にし、幕府を解散させるべきだと息巻いた。その頃、幕府の重鎮・小栗上野介は「幕府から商社をつくろう」と画策していた。
慶応二(一八六六)年、幕府は第二次長州征伐のため二万の大軍を送った。しかし、薩長同盟軍により、幕府は敗走した出す。第十五代将軍・徳川慶喜はオドオドしていた。いつ自分が殺されるか…そのことばかり心配していた。この男にとって天下などどうてもよかったのである。坂本龍馬は将軍慶喜に「戦か平和かを考えるときじゃきに」といった。 土佐・は大政奉還建白書を提出した。慶喜は頷いた。慶喜の評判は幕臣たちのなかではよくなかった。ひとことでいえば、無能だ、ということである。
麟太郎も”慶喜嫌い”であった。
そして、麟太郎は、幕臣原市の「幕府とフランスを提携させ、薩長を倒す」というアイ
デアには反対だった。麟太郎は「インドの軼を踏む」といった。
そんな原市も、腐った不貞なやからに暗殺されてしまう。
慶喜は恐怖にふるえながら、城内で西周に「西洋の議会制度」「民主主義」などを習って勉強した。しかし、それは無駄におわる。
慶喜は決心する。
慶応三年十月、幕府は政権を朝廷に返還した。のちにゆう『大政奉還』である。勝はいう。「絶世の世!」この奉還を知り、龍馬は感激で泣いたという。