龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
このころ、龍馬は高知城下にはいなかった。
龍馬の兄の権平は呑気なもので「龍馬はどこいったんぜよ?」などという。武市一派の東洋暗殺にさきだつ十五日前の文久二年三月二十四日、闇にまぎれて脱藩してしまっていた。「いよいよ、龍馬は脱藩したのかのう?」
もはや公然の秘密である。
龍馬は神社にお参りしたあと、連れの山村惚之丞とともにふもとの農家にいった。
「龍馬あ、旅支度せい」
「いや、ひょうたんひとつで結構じゃ」
ふところには金十両があり、ひょうたんには酒がはいっている。腰にはお栄からの陸奥守吉行がある。「よし! いくぜよ!」
脱藩とは登山のことであるという。
土佐の北には四国山脈がある。険しい山道、けもの道を駆けていかねば脱藩は成らぬ。山道には関所、人の目があり、みつかれば刑務所行きである。民家にもとまれない。役人に通報されるからである。寝ず、駆けどおしで、闇の中を駆けた。
………”武士がかわらなければ日本はかわらんぜよ”…
………”国をかえるには自分がかわらんなきゃならぬ”…
龍馬は、寝ず、駆けどおしで、けもの道を、闇の中を、駆けた、駆けた。
こうして、龍馬は脱藩したので、ある。
いま京で騒ぎをおこそうとしているのは田中河内介である。田中に操られて、薩摩藩浪人が、尊皇壤夷のために幕府要人を暗殺しようとしている。それを操っているのは出羽庄内藩浪人の清河八郎であったが、大久保一蔵(利道)にはそれは知らなかった。
幕府要人の暗殺をしようとしている。
「もはや久光公をたよる訳にはいかもんそ!」
かねてからの計画通り、京に潜伏していた薩摩浪人たちは、京の幕府要人を暗殺するために、伏見の宿・寺田屋へ集結した。
総員四十名で、中には久光の行列のお供をした有馬新七の姿もあったという。