龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~


  激しい西風を受け、順動丸は正月二十三日の夕方、浦賀港に入り、停泊した。麟太郎は風邪をこじらせていた。麟太郎が風邪で順動丸の中で寝込んでしまったため、兵庫の砲台の位置についての取決めは延期となった。
 この日の午後、坂本龍馬、新宮馬之助、黒木小太郎ら、麟太郎が大阪で開塾した海軍塾生らが順動丸を訪ねた。彼らは塾生仲間だった鳥取藩の岡田星之助が、壤夷派浪人と結託して、麟太郎の命を狙っているので、先手をうって斬るつもりであるという。そして、彼等は落ち着いて話す間もなく引き揚げていった。
 京は物騒で、治安が極端に悪化していた。
 京の町には、薩摩藩、長州藩、土佐藩などの壤夷派浪人があふれており、毎晩どこかで血で血を洗う闘争をしていた。幕府側は会津藩が京守護職であり、守護代は会津藩主・松
          
平容保であった。会津藩は孤軍奮闘していた。
 なかでも長州藩を後ろ盾にする壤夷派浪人が横行し、その数は千人を越えるといわれ、
                          
天誅と称して相手かまわず暗殺を行う殺戮行為を繰り返していた。
「危険極まりない天下の形勢にも関わらず、万民を助ける人物が出てこねぇ。俺はその任に当たらねぇだろうが、天朝と幕府のために粉骨して、不測の変に備える働きをするつもりだ」麟太郎はそう思った。とにかく、誰かが立ち上がるしかない。
 そんな時、「生麦事件」が起こる。
 「生麦事件」とは、島津久光が八月二十一日、江戸から京都へ戻る途中、神奈川の手前生麦村で、供先を騎馬で横切ろうとしたイギリス人を殺傷した事件だ。横浜の英国代理公使は「倍賞金を払わなければ戦争をおこす」と威嚇してきた。
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