龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
壬生浪士隊は次々と薩摩や長州らの浪人を斬り殺し、ついに天皇の御所警護までまかされるようになる。登りつめた! これでサムライだ!
土方の肝入で新たに採用された大阪浪人山崎蒸、大阪浪人松原忠司、谷三十郎らが隊に加わり、壬生浪人組は強固な組織になった。芹沢は粗野なだけの男で政治力がなく、土方や山南らはそれを得意とした。近藤勇の名で恩を売ったり、近藤の英雄伝などを広めた。
そのため、パトロンであるまだ若い松平容保公(会津藩主・京守護職)も、
「立派な若者たちである。褒美をやれ」と家臣に命じたほどだった。
そして、容保は書をかく。
……………新選組
「これからは壬生浪人組は”新選組”である! そう若者たちに伝えよ!」
容保は、近藤たち隊に、会津・の名のある隊名を与えた。こうして、『新選組』の活動が新たにスタートしたのである。
新選組を史上最強の殺戮集団の名を高めたのは、かれらが選りすぐりの剣客ぞろいであることもあるが、実は血も凍るようなきびしい隊規があったからだという。近藤と土方は、いつの時代も人間は利益よりも恐怖に弱いと見抜いていた。このふたりは古きよき武士道を貫き、いささかでも未練臆病のふるまいをした者は容赦なく斬り殺した。決党以来、死罪になった者は二十人をくだらないという。
もっとも厳しいのは、戦国時代だとしても大将が死ぬば部下は生き延びることができたが、新選組の近藤と土方はそれを許さなかった。大将(伍長、組頭)が討ち死にしたら後をおって切腹せよ! …というのだ。
このような恐怖と鉄の鉄則によって「新選組」は薄氷の上をすすむが如く時代の波に、流されていくことになる。
龍馬は「新選組」のことをきいて、「馬鹿らしいぜよ」と思った。「そんな農民や浪人出身の連中に身辺警護をまかせなければならねぇ世になったきにか?」
だが、京は浪人たちが殺戮の限りを尽くしている。浪人でもいないよりはマシだ。
そんなおり幕府が長州藩の追放を決定した。どうやら薩摩の謀略らしい……
「わしはもっとでかいことしたいぜよ!」
龍馬は心の中で叫んだ。