龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~
薩摩からの使者は西郷隆盛だった。
「このまんまでは、日本国全体が攻撃され、日本中火の海じやっどん。今は長州を幕府から追放すべきではごわさんか?」
軟弱にして知能鮮しといわれた慶喜は、西郷のいいなりになって、長州を幕府幹部から追放してしまう。久坂玄瑞には屈辱だったであろう。
かれは納得がいかず、長州の二千の兵をひきいて京にむかった。
幕府と薩摩は、御所に二万の兵を配備した。
元治元年(一八六四)七月十七日、石清水八幡宮で、長州軍は軍儀をひらいた。
軍の強攻派は「入廷を認められなければ御所を攻撃すべし!」と血気盛んにいった。
久坂は首を横に振り、「それでは朝敵となる」といった。
怒った強攻派たちは「卑怯者! 医者に何がわかる?!」とわめきだした。
久坂玄瑞は沈黙した。
頭がひどく痛くなってきた。しかし、久坂は必死に堪えた。
七月十九日未明、「追放撤回」をもとめて、長州軍は兵をすすめた。いわゆる「禁門の変」である。長州軍は蛤御門を突破した。長州軍優位……しかし、薩摩軍や近藤たちの新選組がかけつけると形勢が逆転する。
「長州の不貞なやからを斬り殺せ!」近藤勇は激を飛ばした。
久坂玄瑞は形勢不利とみるや顔見知りの公家の屋敷に逃げ込み、
「どうか天子さまにあわせて下され。一緒に御所に連れていってくだされ」と嘆願した。 しかし、幕府を恐れて公家は無視をきめこんだ。
「このまんまでは、日本国全体が攻撃され、日本中火の海じやっどん。今は長州を幕府から追放すべきではごわさんか?」
軟弱にして知能鮮しといわれた慶喜は、西郷のいいなりになって、長州を幕府幹部から追放してしまう。久坂玄瑞には屈辱だったであろう。
かれは納得がいかず、長州の二千の兵をひきいて京にむかった。
幕府と薩摩は、御所に二万の兵を配備した。
元治元年(一八六四)七月十七日、石清水八幡宮で、長州軍は軍儀をひらいた。
軍の強攻派は「入廷を認められなければ御所を攻撃すべし!」と血気盛んにいった。
久坂は首を横に振り、「それでは朝敵となる」といった。
怒った強攻派たちは「卑怯者! 医者に何がわかる?!」とわめきだした。
久坂玄瑞は沈黙した。
頭がひどく痛くなってきた。しかし、久坂は必死に堪えた。
七月十九日未明、「追放撤回」をもとめて、長州軍は兵をすすめた。いわゆる「禁門の変」である。長州軍は蛤御門を突破した。長州軍優位……しかし、薩摩軍や近藤たちの新選組がかけつけると形勢が逆転する。
「長州の不貞なやからを斬り殺せ!」近藤勇は激を飛ばした。
久坂玄瑞は形勢不利とみるや顔見知りの公家の屋敷に逃げ込み、
「どうか天子さまにあわせて下され。一緒に御所に連れていってくだされ」と嘆願した。 しかし、幕府を恐れて公家は無視をきめこんだ。