リアル
聞き成れたニュースキャスターの声。坂部は鍋に味噌汁を作り乍ら聞いて要ると、ニュース内容は坂部がドキリとする事件を伝え出した。
「今朝、東京都江戸川区北小岩×町目×―×番、アイボリー北小岩105号室松本さん宅から大きな悲鳴が聞こえたとの通報を受け北小岩交番の警察官が駆け付けると、室内からは血だらけで亡くなっている松本(90歳)さんと、妻の毬(86歳)さんが発見されました。近所の話では、妻の毬さんは一年前から寝たきりに成り、松本さんはその事でかなり気に病み、介護疲れからの無理心中ではないかとの見方が濃厚になっています。それでは、次のニュースです。大阪府堺市で―」
 介護疲れからの殺人。坂部は云い難い気持を胸に食事の準備をする。連れ合いとの無理心中。何がそこ迄追い込むのか、世間の人には分かり難い行動だとは思うが、坂部には漠然とだがその気持が理解出来る部分もある。人は年を重ねる事に、一人で生きて行く事の難しさを思い知らされる。それが生涯の伴侶と長年連れ添っていたのであれば尚の事だ。家族と云う信頼関係を築き上げた日々が長ければ長い程に、伴侶の苦しむ姿と過去の元気な姿が重なり合い、介護をしている者の心を痛め付ける。
「光さん……」
 TVを見ている田中が坂部に声を掛けて来る。
「如何しました?」
「こんな事を頼むのは、間違いかも知れんのじゃが……」
「遠慮無く云って下さいよ」
「明日、光さんは時間有るかね?」
「明日ですか?ええ、時間なら有りますけれど」
 卓袱台の上。夕食の品を並べ乍ら坂部は明るい声で答える。先程のニュースが切欠で、田中が変な考えを持ったのでは無いかと云う思いが坂部の心の中に広がる。職員は必要以上に請け負った家族に深入りしてはいけない。入社の時にケアマネージャーから教え込まれた言葉が頭の中を過ぎる。他人よりは近く、家族程に深入りはしない。
< 16 / 95 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop