愚者
「少し、急用でな」
「生徒達にばれ無い様にして下さいよ。携帯電話を禁止している立場の私達が、目立つ行動は不味いですからね」
「分かっていますよ」
「それと、先生のクラスに笠原さんって子がいませんでした?」
「ええ、居ますよ」
「笠原さん、若しかしたイジメを受けているかも知れませんので、少し、気を付けて見守って上げて下さい」
「分かりました」
 保険医の女性は、葵の担任に軽い苦言を告げて去って行く。男は、その背後を見送り乍、笑みを浮かべる。
「誰がハズレクジの無い金ズルを捨てるかよ。絶対に累が及ばないんだ。小遣稼ぎに利用させて貰うさ。こんな報われない仕事何て、馬鹿正直にやってられるかよ」
 男は吐き捨てる様に云い乍、再度携帯電話を捜査して、自発的に動いた旨を依頼人に伝え、別口のボーナスが欲しいと要求する事にした。

 遠くで人の声が聞こえる。意識が、神経が繋がって行くのが分かる。だが葵の本能は目覚める事を拒絶するかの様に、頑なに深い眠りに落ち様とする。遠くで聞こえる温かくも懐かしい声。だが本能が拒絶する。生きたい思いと反発する様に、逝きたい衝動が心を揺さぶり、曖昧な思考の中ですらも、自分を責め立てられている様な気分に成る。 
 無意識の中で葵は何があったのか考える事すらも出来ず、只、自然と口が動いているのが分かるだけだ。心の奥底、葵は揺れ動く意識の中で昏睡している。
―この侭、ずっと寝ていたい……
 その答えに行き着く直後に眼に強い光を感じる。意識が繋がって行く。意思と反発するかの様に徐々に意識が身体を駆け巡り神経に通るのが分かる。今、自分は何処かで寝ているのだろう。本能が、何か大切な事を思い出そうとするが、意識が曖昧な為に漠然としか分からない。
―何だろう……
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