迷宮の魂
「どないしたん?」
と訝しげに尋ねるが、谷口は芳子の方を見もせず俯いてばかりいる。
「相談があるいうて呼んどいてなんなん?はよう話してえな」
煮え切らない態度に苛立つ気持ちを何とか抑えながら、芳子が促すと漸くぽつりぽつりと話を切り出した。
「俺は、芳子を心から愛してる……」
「うん……」
「お前の気持ちもずっと判っていた……だから、だから一緒になろうと……」
芳子は言葉の続きを待った。
やっとこの日が来た、そう思い、湧き上がる喜びをじっと抑えていた。後に続く言葉でその喜びをより大きなものとする為に。
だが、谷口の言葉は想像していたものとは違っていた。
「隠すつもりはなかったんだが、俺には女房が居るんだ。誤解の無いように言っておくけど、もう何年も前から夫婦の関係は無かった。離婚は時間の問題だったんだ……」
「なんで、ずっと隠してたん?うちを騙してたん?」
「それは誓って言うが、違う。信じて欲しい」
「信じて欲しいゆうたかて……」
「とにかく、最後まで俺の話を聞いてくれ。その上で詰るなり、蔑むなりしてくれればいい」
そう言った谷口の顔は、芳子が初めて目にするものだった。自信無さげでおどおどした目。どんな時も颯爽としていた男とはまるで別人の彼だった。
谷口の話では、芳子と付き合うようになって結婚を意識するようになったから、妻に離婚話を持ち掛けたという。彼の妻は、それ相応の事をさえしてくれれば離婚に同意しても良いと言った。慰謝料の事だろうと思い、それはちゃんと考えていると答えると、
「今住んでいるマンションと会社の経営権、それを私に譲って欲しいの。勿論、慰謝料とは別にね」
妻の出した条件に谷口は即答出来なかった。
「今の会社を設立する時に、妻の実家からまとまった資金を出して貰ったんだ。妻の父親からの生前贈与という形でね。社長は俺だけども、役員として妻も一応名前を連ねていたんだ。会社を手放してしまったら、慰謝料どころか明日食って行く当てすら無くなってしまう」
ここまで話すと、再び谷口は項垂れ、途方に暮れた。