迷宮の魂
ここまでの話を聞いていて、芳子は少しばかり安心した。結婚していた事実を隠されていたのは、すぐに許すという気持ちにはなれないが、ちゃんと私の事を考え離婚を決意してくれていたのだ。それによって生じる経済的な問題など、彼と一緒になれるという喜びに比べればどうという事はない。
「そんな事、どうにでもなるやん。うちかて一緒になって頑張るから。お金が必要なら、沢山やないけど貯金かてあるし」
「芳子……」
「こう見えてもしっかりしとるほうなんやで」
「お前の事だからそう言ってくれるだろうと思っていた。だからこそ、なかなかこの話を言えなくて」
谷口が言うには、新たにプロダクションを立ち上げれば、仕事の方は前からの繋がりでどうにでもなるらしい。今の会社も元々は自分一人でやっていたのだから、それまでのクライアントをそっくり新しい事務所に取り込める。
だが、その新しいプロダクションを設立するのに資金が無い。
銀行にしても、これまでは妻の実家の後ろ盾があったからすんなりと出してくれた。離婚となればそれは望めなくなる。
「所詮、俺は井の中の蛙だったんだ。自分の力を過信していたのかも知れない。一人になった俺なんかに、誰も金なんか出してはくれないさ……」
「一人やない。うちがおるやんか」
そう言いながら芳子は自分の財布からキャッシュカードを出した。
「定期と合わして、三百万位あると思う」
差し出されたキャッシュカードをじっと見つめていた谷口は、なかなか手を出そうとしない。
「足りない?」
芳子に首を振る谷口。
「こんな俺と一緒にやってくれるんだね?」
「当たり前やない」
「ありがとう。芳子、最初は貧乏させるかも知れないが、絶対にお前を幸せにするから」
この時、初めて谷口の涙を見た。